Last Updated on 2025年2月16日 by 成田滋
1763年のパリ条約(Treaty of Paris)で、イギリスはカナダ全土、東西フロリダ、アメリカ大陸のミシシッピ川以東の全領土、カリブ海(Caribbean)のセントビンセント (St. Vincent)、トバゴ(Tobago)、ドミニカ(Dominic)を領有することになります。当時、このようなイギリスの勝利は史上最大級のものと考えられました。アメリカにおけるイギリス帝国を樹立しただけでなく、領土が大きく拡大したのです。
しかし、この戦争に勝利したことで、イギリスは帝国の最も強力な物質的接着剤のようなものを失っていきます。それは、イギリス帝国のニーズとアメリカの植民地のニーズとが異なるため、両者に深刻な対立が生じていくのです。経済的に強力になり、文化的に区別され、政治的に着実に独立しつつある植民地は、最終的にはイギリスの帝国主義に反旗を翻すことになるのです。
イギリスは北アメリカのヌーベルフランス(Nouvelle-France)と呼ばれていた地域で、東はニューファンドランド島(Newfoundland)から西のロッキー山脈(Rocky Mountains)まで、北はハドソン湾(Hudson Bay)から南のメキシコ湾までに大半を委譲されます。さらにイギリスは、スペイン領フロリダ、西インド諸島(West Indies)のいくつかの島、西アフリカ海岸のセネガル(Senegal)植民地、インドにおけるフランス交易地に対する優越性を獲得します。
イギリス・フランス間の紛争は、1754年から1756年の間にイギリスがフランスの北アメリカ植民地を攻撃して、フランス商船を数百隻を拿捕したことで始まりました。これは「七年戦争」と呼ばれました。1763年2月、七年戦争の終結に際してイギリスとフランス、スペインとの間に協定が結ばれ、これによって、フランスはカナダとルイジアナをイギリスに割譲して、若干の島々と権益のほかには北アメリカ大陸における領土と覇権を失います。

1700年代のイギリスとフランの角逐は、今のロシアとウクライナの争いに似ています。領土の拡大という植民地主義の表れです。