なぜ筆者がケルト語(Celtic)に関心があるかである。それには三つの理由がある。第一は1961年1月にJ. F. ケネディ(J.F. Kennedy)が大統領になったこと、第二は長男家族がボストンにいること、第三は司馬遼太郎の「愛蘭土紀行」を読んだことである。司馬の作品から時代考証の方法と文章の修辞法も学んだ。
J. F. ケネディの家系はアイリッシュ(Irish)である。アイリッシュは、イギリスで被征服民とみなされ、カトリック教徒であるために忌避感を持たれてきた。そのためアメリカでも偏見と差別に苦しめられた。しかし、ケネディ、そしてロナルド・レーガンが大統領となりその社会的認知度は確立した。ケネディは1963年11月22日に暗殺されたが、今も最も人気のある大統領の一人として記憶されている。
長男の家族はボストン市内で長く暮らした。長男はハーヴァード大学(Harvard University)でポスドクとして研究し、嫁はダウンタウンの小学校でスパニッシュの子どもたちを教えてきた。今はボストンの郊外に住んでいる。ボストンでたまたまセントパトリックデー(St. Patrick’s Day)に遭遇したことがある。通りがかりの人々は皆、緑色のものを身につけて祝っていた。バグパイプ(bagpipe)のもの悲しい音色もいい。奏者の服装もあでやかであった。
「愛蘭土紀行」にはアイルランド語や文化のことが書かれている。司馬は、小泉八雲の生涯や著作からアイリッシュに関心をいだいたことがうかがわれる。アイルランド語はゲール語(Gaelic)と呼ばれている。もともとアイリッシュの固有の言語であったケルト語である。アイリッシュはケルト人でもある。
イギリスによって被支配民となりアイルランド島全土が植民地化されてからは英語にとって代わられた。だが、今はアイルランドの公用語は英語とともにアイルランド語となっている。
Celtic Womanという5人のアイリッシュ女性の音楽グループもいる。その代表的な歌、”You raise me up”の詩(lylics)です。
When I am down and, oh my soul, so weary;
When troubles come and my heart burdened be;
Then, I am still and wait here in the silence,
Until you come and sit awhile with me.