ウクライナの歴史から学ぶ その一 はじめに

今般、世界情勢の中心となっているウクライナ(Ukraine)は、私たちにとって別の世界の国ではありません。日本とも深い繋がりがあります。ウクライナ国の生い立ちや発展の過程は、地政学上の位置により多民族の交流、近隣諸国からの侵略や戦争などによる誠に激動の歴史です。ここではブリタニカ国際百科事典(Encyclopædia Britannica)や平凡社の世界百科事典からの資料などを通して、ウクライナの歴史を振り返ることにします。本稿では、正確を期すために最初に登場する国名や地名、氏名その他文化や宗教などの固有名詞はすべて英語でも表記します。これまでロシア語読みによる表記でキエフなどとして使われていた地名は、本稿では「キーウ」のようにウクライナ語読みによる表記とします。

Map of Ukraine

1991年12月のソビエト連邦(ソ連邦)(Soviet Union)の崩壊に至る前には、ロシア(Russia)もウクライナもソ連邦を構成する15の共和国の1つでありました。人口や経済的重要度において旧ソ連邦中、ロシアに続いて第二位です。ロシアを除けば、国土面積ではヨーロッパ最大で、人口はドイツ、イギリス、フランス、イタリアに次いでいます。

ウクライナの西部諸州では、ロシア系住民は10%以下、東部や南部諸州では10%〜50%を占めます。クリミア半島では70%に及ぶといわれています。ウクライナ西部は、かつてオーストリア(Austria)・ハンガリー(Hungary)帝国に帰属し、宗教もローマカトリック教会(Roman Catholic Church)、東方正教会(Greek Orthodox Church)、超正統派ユダヤ教(Hasidism)、イスラム教(Islam)の影響が残っていて、ロシアからの独立志向が強い地域であります。

これから考察していきますが、ロシアはウクライナに対して「同じルーツを持つ国」という意識を強く持っていています。様々な根深い要素があって今やウクライナはロシアの侵攻を受けています。その経過をこれから詳しく調べることにします。

Evacuation from Kiev

本稿では、ウクライナの歴史を次のような目次で辿っていくこととします。
・地名と地理
・民族の流入
・キーウ・ルーシ公国
・リトアニアとポーランドの統治
・宗教的な発展
・ウクライナのコサック
・ロシア皇帝とレーニンの登場
・ウクライナのルネッサンス
・第一次世界大戦とロシア革命
・第二次世界大戦とスターリン
・ペレストロイカ
・オレンジ革命とマイダン革命
・ロシアによるウクライナ侵攻