パレスティナ解放機構(Palestine Liberation Organization: PLO)とは、ヨルダン川西岸地区(West Bank)およびガザ地区(Gaza)を管理するパレスティナ人による自治機関です。パレスティナの独立宣言に基づいてパレスティナを国家として承認している国は137か国あります。日本はPLOを国家承認していないため,パレスティナ自治政府,またはパレスティナ自治区と呼んでいます。ただPLOとは友好関係を維持しています。
1988年5月にPLOとイスラエルの間で相互に承認しあったことは既に述べました。この歴史的な合意の立役者はPLO議長のアラファト(Ycasir Arafat)です。パレスティナ民族評議会でパレスティナの独立宣言を読み上げ,彼にはパレスティナ〈大統領〉の呼称が与えられました。アメリカが主導する中東和平プロセスのもとで,1993年オスロ合意に基づいて、PLOとイスラエルはパレスティナ暫定自治宣言に調印し、ガザとジェリコ(Jericho)の両地区にパレスティナ暫定自治政府(Palestinian Authority)が樹立されます。
しかし,イスラエルで2001年リクード党のシャロン(Ariel Sharon)政権が登場して以後,オスロ合意による和平交渉は行き詰まります。米国における9.11事件以後イスラエルは一層強硬策に転じ,2002年にはパレスティナに軍事侵攻し、対抗措置としてPLOの過激派による自爆テロも続発します。ブッシュ(George Bush)政権は2003年のイラク戦争後,パレスティナ国家の独立とイスラエルとの共存をめざす工程表を提示しますが、争いの連鎖が再燃し,情勢はむしろ悪化します。
2004年のアラファト議長の死後,穏健派のアッバス(Mahmoud Abbas)が後任となり,和平交渉の気運が高まります。2005年8月,ガザ地区と西岸地区北部の一部からのイスラエル人入植者の退去が完了します。しかし2006年イスラム原理主義のハマス(Hamas), が総選挙で勝利し,2007年にハマスと穏健派のファタハ(Fatah)の連立政権がいったん成立しますが,内部抗争が続き,連立政権は崩壊します。イスラエルとアメリカはハマスを相手にせず、穏健派のファタハを交渉相手にすると宣言し、軍事面を含む援助を行うという複雑な構図です。