ヨーロッパの小国の旅 その五十八 チェコと「プラハの春」

Vera Caslavska

チェコ(Czech Republic)という国の紹介です。私の年代からすると、チェコというとプラハ(Prague)出身の女子体操選手のベラ・チャスラフスカ(Vera Caslavska)を思い出します。1964年の東京五輪の体操女子で3個、1968年のメキシコ五輪4個の金メダルを獲得するという名選手です。

チェコはもともともはチェコスロバキア(Czechslovakia)と呼ばれていました。長い間共産党政権が続き、ソ連の衛星国のような存在でした。やがてチェコスロバキア国内に共産党の権力独占を非難し,権力を乱用する者の退陣を要求する運動が起こります。1968年6月に改革運動の象徴的な文書といわれた「二千語宣言」が発表されます。

Alexander Dubcek

この宣言は、正式には『労働者,農民,科学者,芸術家,その他すべての人々の二千語宣言』と呼ばれました。70名の各界の有名,無名の知識人の署名を付し,チャスラフスカもこれに署名します。この改革運動は「プラハの春」(Prague Spring)と呼ばれます。このときの指導者は共産党第一書記で、民主化運動の象徴の一人となったアレキサンダー・ドゥプチェク(Alexander Dubcek)です。

ビロード革命

その後、共産党は「正常化体制」といわれて政権を維持します。チャスラフスカは「二千語宣言」への署名撤回を要求されます。彼女はそれを拒否し続けたので、彼女は非常に困難な状況に置かれ続けます。1968年のメキシコ五輪のとき、出国ビザが政府からなかなかおりなかったというエピソードがあります。

1989年11月、ビロード革命(Velvet Revolution)という民主化革命によって共産党体制が崩壊すると、チャスラフスカはチェコ共和国の初代大統領となったヴァクラフ・ハベル(Vaclav Havel)のアドバイザー及びチェコ・日本協会の名誉総裁に就任します。その後はチェコオリンピック委員会の総裁も務めました。