ヨーロッパの小国の旅 その十四 ブルガリアの旅

2016年6月に、私は家内とでトルコのイスタンブル(Istanbul)にある日本人学校で教師をしていた友人を訪ねました。地図を見ながら、イスタンブルだけを観光するのはもったいないと思いました。そこで選んだのが西隣にあるブルガリア(Republic of Bulgaria)です。イスタンブルからブルガリアの首都はソフィア(Sofia)まで飛行機で一時間の距離です。

ソフィア(Sofia)というなんとも芳しいような名前です。ソフィアはギリシア語で叡智とか知性という意味です。哲学は英語でPhilosophy, Philosophiaで、Philoとは愛という意味です。SophiaとかSophieなどとも使われる女性名詞です。私事ですが孫娘もSophia。この名詞は人名の他に都市や組織にも使われます。上智大学(Sophia University)とかアヤソフィア(Hagia Sophia)がそうです。アヤソフィアは別名Sancta Sophiaといい「聖なる叡智」という意味です。

ソフィアはヨーロッパ最古の都市の一つであり、この街はかつて東ヨーロッパ周辺に住んでいた民族トラキア人(Thracia)の集落、セルディカ(Serdica)と呼ばれていたとあります。有史以前のトラキア人集落跡が現在のソフィアの中心で見つかります。その歴史は7千年以上に及ぶとされます。紀元前29年にセルディカは古代ローマ(Ancient Rome)によって征服されます。古代ローマとは、イタリア半島中部に位置した多部族からなる都市国家といわれます。

セルディカは発展し、やぐら、防壁、公衆浴場、役所、一般の教会堂より上位にあるバシリカ(basilica)が造られます。特に。東ローマ帝国のユスティニアヌス1世(Justinian I)の時代には繁栄を謳歌したようです。この時のセルディカは巨大な城壁に囲まれており、その一部は遺跡としてソフィアのダウンタウンで見られます。そういえば、ダウンタウンの駅名もSerdicaで名残を留めています。セルディカの発掘と保存作業は続いていました。

Assassinat de l’archiduc heritier d’Autriche Francois-Ferdinand (Franz Ferdinand ou Francois Ferdinand) et de la duchesse sa femme à Sarajevo – in “la Domenica del Corriere” du 12/07/1914. Assassination of Franz Ferdinand, 1863-1914 Archduke of Austria, and his wife Sophie, in Sarajevo, Bosnia, 28 June 1914, ©Bianchetti/Leemage

イスタンブルに行く前に、バルカン半島の地図を見ながらブルガリアとかルーマニアをも訪ねてみたいという気持になりました。