バルト三国の二番目の国はリトアニア(Lithuania)です。後に紹介するラトビア(Latvia)、ポーランド(Poland)、ベラルーシ(Belarus)と隣あわせです。人口は約280万人で、エストニアと同様に強国の争いに翻弄された苦難の歴史があります。
近代のリトアニアの歴史です。1917年にロシア帝国で起きた2度のロシア革命(Russian Revolution)後、1918年から1920年にかけてリトアニア国内では自由と独立を求める運動が起こります。1920年には、国籍や宗教の違いを超えた最初の総選挙が行われます。1922年には最初の憲法が採択され、大規模な農地改革や教育改革が行われます。1923年にはそれまで占領されていた港湾都市のクラペダ(Klaipeda) を取り戻し、海上交通が容易になります。1920年代から1940年にかけて近代的な制度が敷かれ、カナウス(Kaunas)が首都となります。
1944年から1953年にかけては、ソビエト連邦の支配下におかれ、その間粘り強い抵抗運動が侵略者に対して続けられます。一時ナチスドイツの占領下に置かれた時期もあります。こうした苦難に直面しながらも民主的な国家樹立の精神を保持し続けます。
1988年にはサユディス(Sąjudis) と呼ばれる大集会が開かれソ連からの独立を叫びます。そしてようやく1991年の1月、独立回復宣言を発布します。最初に独立を承認したのはアイスランドでその後続々と各国が承認します。1993年にはソビエト軍を引き継いだロシア軍が撤退し、2004年3月に北大西洋条約機構(NATO)に加盟します。さらに欧州連合(EU)への加盟を果たします。