ヨーロッパの小国の旅 その三 エストニアの独立に至る歴史

Britannica百科事典を調べながら、エストニア(Estonia)の大国に挟まれた誠に複雑な歴史を辿ります。日本のように国内の大名らの争いではなく、国外からの侵略という脅威です。エストニアは長らくドイツ騎士団(Teutonic Order)に支配され、13世紀にはデンマークが領有します。16世紀になるとリヴォニア戦争(Livonian Warというエストニアの支配を巡る争いが起こります。これによりスウェーデンが支配し、エストニア公国となります。

ドイツ騎士団

18世紀になると大北方戦争(Great Northern War)の結果、ロシア帝国の支配となります。この戦争はスウェーデンと反スウェーデン同盟間の戦争です。ピュートル皇帝一世(Peter the Great)はスウェーデンを駆逐し、ロシアはバルト海の覇権を握り、獲得した地にサンクトペテルブルク(St. Pertersburg)を建設します。

ピュートル皇帝一世

1917年のロシア革命により、エストニアには自治がもたらされます。20世紀になり、第一次大戦の結果1918年にドイツが降伏し、エストニアは一時独立を果たします。1939年にはソビエト赤軍がエストニアに進軍すると傀儡政権が作られます。それ以来、長くソビエトの支配が続きます。1980年代までエストニアの政治経済、社会はソビエト連邦と軍隊を後ろ盾とする共産党に支配されます。

この共産党の支配時代には、独立運動をしていた人々、自由を求めて文化活動をしていた人々は弾圧され逮捕されて拷問などを受けています。元共産党本部であった建物は歴史博物館となり、そこを訪ねますと牢獄などが保存されています。1991年のソビエト連邦における共産党保守派のクーデター失敗によりエストニアはようやく独立を宣言し、ソビエト連邦もこれを承認します。

クーデター失敗とエリツェン大統領