英語の 「economy」の語源は、ギリシャ語のオイコノミアで、家の管理すなわち家政を意味するものでした。オイコス(Oikos=家)とノモス (Nomos=法律、摂理)が結び付いてできました。 これが、近代になって国家レベルでの「political economy」という言葉が現れました。哲学者井上哲次郎はこれを理財学と呼びました。そういえば現在の財務省に理財局というのがあります。
「経済(学)」がエコノミーもしくはポリティカル・エコノミーの訳語として定着するには若干の論議があったようです。例えば西洋哲学、論理学等の導入者として、多くの術語を考案した西周は1870年に刊行した『百学連環』で、エコノミーとポリティカル・エコノミーの区別を重視して前者に「家政」、後者については国家の「活計」を意味するものであり、幕末・明治初期の啓蒙思想家・法学者であった津田真道は訳語「経済学」では活計の意味を尽くしていないとして「制産学」の訳語を与えています。このように個人もしくは企業の家計・会計と国家規模の経済運営を分けて考える立場はしばらく影響力を持ち、後者については「理財」の訳語が用いられることもありました。
西周の「百学連環」にある「児童を学問の輪の中に入れて教育する」で、その講義した内容は、政治学や数学など、様々な学問分野の概要を連続して講義したもので、一般教養に相当するものでした。これは西洋近代学術(Science、Wissenschaft) のことでした。これを「百学連環」といったのは西洋のEncyclopediaからきているので、西洋の諸学問を一貫した体系のもとに組織的に講述しようとする試みだったと言えそうです。
西周はオランダ留学から多くのことを学びます。特にサイモン・フィセリング(Simon Visseling)というライデン大学(Universiteit Leiden) 教授からうけた五科の学習、さらに西洋の諸学の在り方、学問の方法を学ぶのです。西周が学んだ「五科」とは、性法学(自然法、哲学)、万国公法学(国際法)、国法学(憲法、国家法)、経済学(政治経済学)、政表(統計学)といわれます。フィセリングは1850年にライデン大学法学部の統計学担当教授に就任します。筆者はフィセリングの統計学を解説するに先立ち,彼の教授就任講演「経済学の基本原理としての自由」を取り上げ,そこで利己心と隣人愛,科学と信仰という一般的には対立状態にあるものが両立的に受容され,オランダ的中庸論がフィセリングの思想としてあったことを確認しています。フィセリングは1879年大蔵大臣に就任します。その経済思想は古典的自由主義で自由貿易論に立っていた学者です。
1800年代の後半になり、新たに交流が始まったイギリスなどから古典派経済学の文献が輸入されるようになります。「経済」の語は新たに”economy”の訳語として用いられるようになります。1862年に刊行された堀達之助らの『英和対訳袖珍辞書』では”economy”を「家事する、倹約する」とし、「political economy」という語をあてます。この語は古典派経済学において「経済学」を意味する語であり「経済学」の訳語を与えています。なお、堀達之助は江戸末期までオランダ通詞を勤め、後に日本で最初に刊行された英和辞典を著し、英語研究の基礎を築いた人物といわれます。
ついで日本における最初の西洋経済学入門書として知られる1867年刊の神田孝平訳の『経済小学』では「経済学」を「ポリチャーエコノミー」と読ませています。神田孝平は開成所教授としてオランダ語翻訳本から『経済小学』の初版をだすのです。同年末に刊行された福沢諭吉の『西洋事情外篇』巻でも同様の用法として「経済学」の語が見えます。なお前年1866年刊の『西洋事情初篇』巻には「経済論」の語があります。

