この人を見よー内村鑑三 その十五 ペンシルヴァニアでの看護人生活

1885年、内村鑑三は渡米しメソジスト派の宣教師メリマン・ハリス(Merriman C. Harris)の紹介で、ペンシルヴァニア州(Pennsylvania)のエルウイン(Elwyn)にある州立白痴児養護院長のアイザック・カーリン(Issac N. Kerrlin) という方に「拾い上げられます。」この院長は実行家型の慈善事業家でした。彼は内村の性格を調べてから保証人となることを引き受けるのです。そして彼の「看護人」に加えるのです。内村は、「帝国政府の官吏から急転して白痴院の一看護人」となります。内村それを転落とは感じなかったと述懐しています。まるでナザレ(Nazareth) の大工の子によって今や全く新しい人生観を与えられた、と受けとめるのです。

ペンシルヴァニア州立白痴児養護院

 この病院勤めはマルチン・ルター(Martin Luther)のエルフト(Erfurt) 僧院行きとほぼ同じ目的によるものだと言います。ルターは、エルフトにおいて「神の永遠の義が、人間のいかなる努州立精神薄弱児養力によっても強制できない、イエス・キリストへの信仰によってのみ与えられる純粋な恵みの贈り物である」ということを感得するのです。内村は、「来たらんとする怒りから逃れる唯一の避難所として、そこを選び、そこで自分の肉を屈服させ、霊的な清浄に達しうるように訓練して、天国を継ぐ血と考えた」のでした。それゆえに、実のところ自分の病院勤めの動機は自己本位だったと認めるのです。

 心の葛藤は別として、内村は病院内の生活は少しも不愉快なものではなかったと言います。院長は自分の幸福を心から願い、わが子に対するような真の愛情で世話してくれたようです。院長は、「肉体を正しい状態にしておくことが、品性を行為をも正しくすることだ」と信じていました。「院長は私の霊魂よりも胃の腑のほうに多く心を配ってくれた。本格的な食事を十分にとって元気をつけるようにと言って、しばしは実質的な援助を送ってくれた。彼を知らぬ人は、彼を狂人じみた唯物論者だと思っていた。特に彼が「道徳的低能」なる特異の題目について語るとき、ひとしおその感を深くするのであった。」「道徳的低能とは、両親の犯す過ちや悪い環境が原因となって興る体質上の堕落を意味する。」というのです。しかし、院長は唯物主義者でも無神論者でもなく、堅く摂理を信じ、神の御手が彼の全生涯を導いていたのです。

 院長は聖書に関して広い知識を持っていました。彼の告白する信仰は厳密な意味での「正統信仰」ではなかったのですが、彼は心なき知識偏重過ぎを憎み嫌い、ユニテリアン主義(Unitarianism) をさして「最も偏狭な、最も無味乾燥な教派だ」と公言していました。しかし彼の妻はユニテリアン信者でした。内村は、彼の宗教や音楽のゆえに彼の讃美者また忠実な弟子となったのではないと語ります。「人類の中の最も不幸な人々のために、そこに盛んな集団居住地(コロニー)を造り上げた。目標をあやまたぬその意志、700人余りの狂人を治め、導き、従わせるその管理の手腕、これらすべてが、この人を私の驚嘆と研究との的とした」と言います。

 このような人物は、自分は故国においても外国においても見たことがなかったと述べます。当時、内村は自身が悩んでいた激しい宗教上の懐疑を解くことはできなかったのですが、生活と信仰をといかに活用すべきかを教えてくれたのはこの病院長であったと述懐するのです。「慈善なるものは、どれほ高貴で繊細な感情に支えられていようとも、それを悩める人類の福祉とするための明晰な頭脳と鉄石とを欠くならば、この実際社会では役に立たぬ」ということを、彼は教えてくれたのです。

 「まことに彼こそは私に人間性を与えてくれた人である。もしも私が書物と大学と神学校だけでキリスト教を学んだのであったなら、私のキリスト教は冷たい、堅い、実行性を欠いたものとなっていただろう。この実際家の生きた実例は、実践神学のどんな課程よりも、適切にまた感銘ぶかく、この貴重な授業を自分に授けてくれた。」 (注:白痴という単語は今は使いませんが、本稿では内村鑑三の書いた文章からそのまま引用しています。)

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