Last Updated on 2025年2月28日 by 成田滋
「名人」という小説は、家元制最後の本因坊秀哉の人生最後の勝負碁に立ち会った川端康成自身が、観戦記者からの視点で「不敗の名人」の敗れる姿を「敬尊」の念を持って描いた記録です。後に、名人の生死を賭けた孤高の姿勢に「古い日本への挽歌」、「一つの血統が滅びようとする最後の月光の如き花」と形容するように、芸術家の理想像を重ねた作品であると評価されています。
秀哉名人は、明治、大正、昭和の三代に輝く戦歴を残し、今日の碁の隆盛をもたらした功 績は偉大だといわれます。その意味で碁そのものを象徴する存在であると評価されています。川端は、この老名人が碁からの引退を飾るのですから、心置きなくよい対局を打たせようという、後進のいたわりや武士道の嗜みや芸道のゆかしさといったものを期待したようです。しかしながら、コミなし、制限時間、打ち掛け、封じ手など、現代的な対局規則に対しての術策は知らなかったので敗退したのではと、同情を寄せるのです。そして名人をして「いにしへの人」とさえ形容するのです。実に、大竹七段の黒先番コミなしで五目負けという結果です。今でいえば、名人の一目半勝ちだったのです。
川端は、この引退碁についていろいろな懸念を表明しています。引退碁は前代未聞の対局料で、新聞社へ売ったのではないか、あるいは名人が進んで申し出たよりも、新聞社に誘い出されたのではないかという疑問を呈します。碁の道で、日本や東洋古来の美風は損なわれ、計算や規則が横行しているというのです。棋士の生活を左右する昇段も微に入り細をうがった点数制度となり、勝ちさえすればいいという戦法が先に立っていると指摘します。藝としての碁の品や味を思うゆとりもなくなってきていると杞憂するのです。(2023年7月24日)
