日本にやって来て活躍した外国人 その三十六 魯迅 その2

魯迅には、人間嫌いという側面があったといわれます。嫌悪は他者ばかりでなく、自己を含む面です。同胞の人々を卑俗性ゆえに避けたというのですが、魯迅自身をも嫌悪することにはね返ったのではないかという説です。魯迅が仙台での授業の合間に見た記録映像がありました。ロシアのスパイをしたとして中国人が日本の兵士に銃殺されるシーンで物見遊山で見守る中国人が「万歳!」と歓声を上げるのを見るのです。魯迅は「ああ、何も考えられない!」と嘆き、身体ではなく精神の改造へと転向するのです。魯迅は医学の道をやめて東京へ向かいます。

魯迅

東京にいた中国人留学生には、立憲君主制を唱える改良派、異民族征服の王朝であった清朝打倒を説く革命派、無政府主義の者など、さまざまなグループがありました。魯迅はどうも革命派に位置していたようです。

辛亥革命の頃の北京

1909年に魯迅は帰国し、浙江省の師範学同堂の教員となります。1911年に辛亥革命がおこり、各地で民衆が蜂起し清王朝の支配が終わります。列強の中国大陸への進出により、中国各地で抗日運動も広がっていきます。魯迅は、作家として翻訳家として、文学革命運動を担って祖国の青年に精神を教える立場に変わります。不朽の名作「阿Q正伝」は、ルンペンで愚民の典型である架空の一庶民、阿Qを主人公とした短編小説です。

阿Qは反封建的で半植民地的な中国社会の産んだ人間の一タイプとして描かれます。権威には無抵抗で弱者をいじめる滑稽な人物で、人間のもつ奴隷根性の化身で、そして万人に通じその意味で普遍性を備えた人間としても描かれます。革命に同調し謀反に荷担したとして阿Qは捕らえられ処刑されるのです。「阿Q正伝」は民衆の無知と無自覚を痛烈に告発した作品として知られています。