Last Updated on 2025年6月23日 by 成田滋
「ヘイビアス・コーパス」という制度は中世イングランド(medieval England) の歴史に起源があります。ラテン語で「人身を差し出せ」という意味の「Habeas Corpus」は、中世のラテン語による法文書の冒頭の語句から来ています。イングランドのコモン・ロー(common law)という慣習法の中で、王の裁判所が地方の牢獄に囚われている人を引き出し、その拘禁が正当かどうかを調べるための命令文書(令状)として発展しました。コモン・ローとは、法制度の重要な特徴である「判例法」を指す言葉です。具体的には、判例に基づいて法が発展していくシステムであり、イギリスの普通法を起源とします。しかし、当初は王の裁判権の拡大が目的であり、個人の自由保護という意識はまだ希薄でした。
この制度が発展したのは13〜17世紀といわれます。1215年の大憲章(マグナ・カルタ: Magna Carta)では、「正当な裁判なく自由を奪ってはならない」という原則が確認され、これが後の「ヘイビアス・コーパス」の精神的基盤となりました。その後、裁判所が不当な拘禁を調査するためにこの令状を使うことが一般化します。特に、16〜17世紀には国王や官僚による恣意的な拘禁に対して、庶民が抗議手段として使うようになります。
この制度の最も重要な転機は、1679年にイングランド議会(Parliament of England) が「ヘイビアス・コーパス法」を制定したことです。これはチャールズ2世(Charles II)の治世下、国王権力の乱用を防ぐために成立したものです。次のような内容でした。
・裁判なしに長期間拘禁することを禁じる
・裁判官の命令で速やかに被拘禁者を釈放させる
・刑務所や官憲による引き伸ばしや拒否を処罰対象とする
この制度はやがてイギリス植民地とアメリカへ波及します。イギリスの法制度に従っていたアメリカ合衆国でもこの制度は引き継がれました。つまり合衆国憲法第1条第9節には、「ヘイビアス・コーパス」の特権は、反乱や侵略の際にのみ停止できる」と明記されています。このため、リンカーン大統領(Abraham Lincoln)が南北戦争(Civil War) 時に一時的に停止した例が有名です。
終わりに、「正当な裁判なく自由を奪ってはならない」という原則は我が国ではどのように規定されているでしょうか。日本国憲法第34条の前段は、「何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない」と定められています。この条文が「ヘイビアス・コーパス」に由来するということは明らかです。しかし、このことの詳細を定めた人身保護規則は適用条件を絞っているため、日本の人身保護手続は公権力に対する拘禁についてはほとんど用いられていません。専ら私的拘禁への救済手続として用いられているのが現状です。
