無関心や傍観の帰結 その十二 野間宏や大岡昇平と文学活動

Last Updated on 2025年6月20日 by 成田滋

戦況の激化により、表現の自由の統制はさらに強化されていきます。反戦との関連が薄くとも、時局に消極的な内容であれば規制の対象となり、表現の幅はさらに狭くなります。谷崎潤一郎の『細雪』が連載中止に追い込まれたことは、この時代を象徴する事件の一つといわれます。『細雪』はモダニズム時代の阪神間の生活文化を描いた作品としても知られ、全編の会話が船場言葉で書かれています。Wikipediaによれば「上流の大阪人の生活を描き絢爛でありながら、それゆえに第二次世界大戦前の崩壊寸前の滅びの美を内包し、挽歌的な切なさをも醸し出している」といわれます。戦意高揚の出版物が推奨され、そこに多くの紙が配分されたことで、表現活動のためには時局に協力的にならざるをえない状況が作り出されます。このように、終戦までの日本では表現の可能性が政府によって日を追うごとに制限されたのです。

 1945年8月。さまざまな意識をもって戦時下を過ごした文学者は、それぞれの終戦を迎えます。個人の程度の差こそあれ、戦時体制に協力した彼らは強く批判されます。この当時、横光利一が山形での文筆活動から、「夜の靴」を通して敗戦の痛みを表現したことをはじめ、自身の戦争協力を徹底的に反省する者も現れてきます。

横光利一

「夜の靴」の一節です。

「軍人という奴は、どいつもこ奴も、無頼漢ばかりだ。」またか、と初めは思って、私にこの話をした青年は、聞くのを躊躇したそうだ。この青年も復員軍人だ。「捕虜に食わせる食い物なんて、あれや無茶だ。人の食う物じゃない。気の毒で気の毒で、もう見ちゃおれん。」と、日通は云った。軍人を攻撃するのは田舎でも流行だが、これは少し流行から脱れた権幕である。罵倒も飛び脱れた大声だと、反感を忘れ、どういうものかふと人はまた耳を傾ける。「敗残兵が帰って来たア。」

 さらに、戦前・戦中に若年層であった者が「戦後文学」を作り上げていきます。表現方法は多岐にわたりますが、文学者の一部は戦争による日常の崩壊を描き、戦時以前の文学とは異質な文体でもたらされた非日常の経験を表現していきます。兵士として戦地に赴いた野間宏や大岡昇平の著作には、自身の経験を通した新たな表現が見られます。野間は、人を兵隊に変える兵営という軍隊の日常生活の場を舞台とし,軍国主義に一石を投じた「真空地帯」という意欲的な作品を残します。この著作は、彼の出征経験から書かれ、戦後は大きな反響を呼び、戦後文学の記念碑的名作となります。

映画「野火」

 大岡は、「野火」において戦時中のフィリピンのレイテ島での戦争体験を基にし、死の直前における人間の極致を描きます。主人公の田村は肺病のために部隊を追われ、野戦病院からは食糧不足のために入院を拒否されます。彼が目の当たりにする、自己の孤独、殺人、人肉食への欲求、そして同胞を狩って生き延びようとするかつての戦友達という現実は、ことごとく彼の望みを絶ち切っていきます。 ついに、「この世は神の怒りの跡にすぎない」と断じることに追い込まれた田村は、狂人と化していくのです。戦争文学の代表作の一つといわれます。大岡は他に従軍記である『俘虜記』も出版します。

 戦時下の統制により日本の文学は停滞します。戦後、言論の自由が認められた世で生まれたのが戦後文学です。野間や大岡らの「戦後文学」が誕生し、当時に与えた社会的影響は大きく、戦争像を相対化し戦争というものの意味を捉え直させる力があったことは確かです。

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