無関心や傍観の帰結 その六 『白薔薇は散らず』 最後のビラ その1

Last Updated on 2025年6月15日 by 成田滋

かつて我が国にも当時のドイツと似たような軍国主義や国家主義を肯定する時代がありました。国家と暴力とが結託して対内的にも対外的に「八紘一宇」というスローガンによって独裁を主張するとき、国民一人ひとりは何をもって抵抗の意思を表明したのかです。現在の日本に、こうした極端な事態が二度と来ないとはいえるでしょうか。まさか独裁という事態になるまいという安心感や楽観はドイツでも日本でもあったはずです。今も平凡な生活にある眼に見えない不合理や不自由が日常化され、常識といういわば尺度にされがちな傾向に疑問が呈されているでしょうか。

岩波文庫の表紙

 1949年10月に『きけ わだつみのこえ』という遺稿集が東大協同組合出版部から出版されます。これは、特に日本の学徒兵の多くが己の学業が心ならずも頓挫し、自分が異常な状況に置かれていることを見つめた内容を記述されているといわれます。この遺稿集に関してある識者は、当時の学生の間では概ね共通した軍国主義批判・国粋主義批判の風潮があったと記しています。「わだつみ」とは海神を意味する日本の古語といわれます。しかし、ドイツの学生らは、暴力を至上とする国家組織を破るものはなにかを問い、あるいは国家と暴力とが結びついて独裁という体制の打破について、白薔薇通信という学生が言う「消極的抵抗」の手段をもって反戦や国家の打倒を訴えるのです。

 「消極的抵抗」とは、生成AIによれば、「ナチス政権の思想や行動に反対の意志を持ちながらも、直接的に戦ったり、大規模な反乱を起こすのではなく、日常生活の中で静かに反対の意を示す行為のことです。武力や暴力によらず、静かで内面的、もしくは控えめな方法で権力に抵抗する行為のこと」とあります。ハンス・ショルらは、1942年6月から7月にかけて4種類のビラを作成し、郵便などで配布します。1943年に入ると、1月に5種類目のビラ「全ドイツ人への訴え」を作成して各地で配布します。さらに、1月末の スターリングラード攻防戦におけるドイツ軍降伏を受け、2月に6種類目のビラ「学友へ」が作成されます。いずれのビラも平易なドイツ語で書かれており、グループが広くドイツ国民に訴えかけようとしたといわれます

  『白薔薇は散らず』には「最後のビラ」が掲載されています。その全文を引用することにします。

男子学友諸君! 女子学友諸君!
愕然としてわが民族は、スターリングラードの。人的消耗を眺めている。33万のドイツ男子は第一次大戦伍長の天才的戦略によって無意味かつ無責任に、死と破滅へ駆りたてられた。総統よ、われわれは君にお礼を言おう!

ドイツ民族の胸中には疑いが醸されている。われわれはなお一ディレッタント(dilettante)にわが軍の運命を委ねたものであろうか?われわれは党派の徒の卑劣なる権力本能に、残るドイツ青年を犠牲としたものであろうか?断じて否!決算の日は来た。ドイツ青年がわが民族のかつて甘受した最も侮蔑すべき独裁制に、決算書をつきつける日なのである。ドイツ青年の名において、われわれはアドルフ・ヒットラーの国家に、人格の自由、このドイツ人にとり最も尊き財宝を返却せよと要請する。われわれは憐れにも彼の欺瞞によりそれを失ったのであった。

あらゆる種類の意見発表に呵責なく弾圧する国家のうちに、われわれは生い育った。ヒトラー青年団、突撃隊、親衛隊は教養の最も実り有るべき年齢にわれわれの生命を制服と革命と麻酔とで束縛すべく試みた。「世界観的訓練」というのが、萌え出でる自己思索を空虚な念仏のもやで窒息せしめるかの軽蔑すべき方法の名であった。総統訓必携なる一書が、かの類似なき悪魔的かつ愚味な思想を持って、ナチス幹部養成所なる未来の党首どもを、羞じらいなき良心なき搾取者、かつ殺害者、目くらみ頭なえた総統幕僚へと育成する。

われわれ「精神労働者」の正当な仕事とは、この新興支配階級に棍棒を作り献ずることなのである。従軍者は養成所上がりの隊長や地方分団指導者の怒号によって生徒扱いの統制をうけ、地方分団長らは淫靡な口実のもとに女子学生の貞操を奪おうとする。しかし、ドイツの女子学生はミュンヘン大学において、貞操汚辱に抗して品格ある一矢を報いた。

ドイツの男子学生はが彼女達を支持し、擁護せんと努めた。これこそはわれわれの自由な自己省察を闘いとる第一歩である。精神的価値の創造にはなおほど遠いとしても、われわれの感謝は輝かしき先例を残したこれら男女の学友たちに捧げられるものである!

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