無関心や傍観の帰結 その五 クルト・フーバー教授と『白薔薇は散らず』

Last Updated on 2025年6月13日 by 成田滋

 『白薔薇は散らず』の著者は、ハンス・ショル(Hans Scholl)、ゾフィー・ショル(Sophie Scholl)の姉、インゲ・ショル(Inge Scholl)という人です。第二次大戦中の抵抗運動の記録は,我が国でもかなり紹介されています。抵抗文学にもそれがあります。ですが、抵抗組織に関わりのない無力な学生の純粋な苦悩や情熱を、文学や政治の素人が記した記録は知られていません。ドイツ国外亡命者の反ナチ運動やフランスでの抵抗運動とは異なり、ショル兄妹のように国内で絶対権力の打倒を試みたことに畏敬の念を感じます。

 著者インゲ・ショルは、ハンスとゾフィーがナチズムへの疑問を抱き、抵抗運動に挺身するきっかけをつくった一人の教授、クルト・フーバー(Kurt Huber)を引用して次のように記しています。

Professor Kurt Huber

さる若いプロテスタントの神学生を通して私たちは当時、「矯正」案なるものの正体を知りました。国家のためと称して、キリスト教の信仰箇条を完敗させたのち、矯正を実現する計画だったのです。身の毛もよだつ背徳の人権侵害が、戦線にたって筆舌につくせぬ辛酸をを耐えねばならない男性たちの背後で、用心深くたくまれていたのです。

同じく秘密裡に婦女子に対する処置が準備されていました。女性は戦後来るべき恐ろしい人的消耗を計画的かつ破廉恥な人口政策に従って回復すべきだというのです。現に地方分団長ギースラーは、ある大きな学生の集まりで女子学生に呼びかけました。諸子は戦時下無益に大学にまつわりつくことなく、「むしろ総統のために一子をもうけるべきである」と。

学生たちは一人の教授を、いわば発見しておりました。それはある学生の言によれば全学のピカ一教授でした。すなわちフーバー教授、ゾフィーの哲学の先生でした。彼の講義には医学部の学生もやってきました。それで早めに行かないと座席が取れないのでした。題目はライプニッツ(Gottfried W. Leibniz)とその精神論でした。

 精神論の根本は最善説にあるとします。「この世界は最善の世界である」という考え方です。ライプニッツによれば、私たちが生きているこの世界の他にも、別の世界が無数に存在していた可能性があると言います。そしてその中から、神が最善な世界を選び出したと主張します。私たちが生きている世界は、全てが予め計画された調和によって成り立っているのです。ライプニッツはこの考え方を「予定調和」と呼びました。

白薔薇通信記念切手

フーバー教授の授業は名講義だったのです。精神論とは、神の正義を弁護することです。精神論は哲学の大きな難しい一章でした。とりわけ戦争中は難しいのです。なぜと言えば、世界が殺人と苦患に狂うとき、どうしてその中に神の足跡をよみとることが出来ましょう?

けれどフーバーのような偉大な教師がそれに注目することを強調したので、講義はただ忘れがたい時間となったばかりでなく、また光を放って、神そのものを抹殺しようとし神の秩序を無視するだけは決して甘んじないこの現代を、照らしてくれるのでした。ほどなく、ハンスはフーバー教授と相識ることとなり、それ以来教授もまたときどき、彼らのサークルに現れて、一緒に議論しました。彼らの抱いていたすべての問題に、彼も全く同じ熱意で関心を寄せておりました。そして彼の髪はすでに白んでいたのに、学生達と全然隔てがないのでした。

成田滋のアバター

綜合的な教育支援の広場

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA