Last Updated on 2025年3月1日 by 成田滋
あるとき、それまで信じられていたことや一般常識に反する事実が提唱されたとします。そうすると必ず、それらに接した人が反射的に強く拒絶する現象が報告されます。19世紀中頃、オーストリアのウィーン(Vienna)総合病院産科に勤務していたハンガリー人医師がいました。彼の名はセンメルヴェイス・イグナーツ (Ignaz P. Semmelweis)です。彼は、出産した母親が産褥熱という病気で死亡する原因が、分娩を担当する医師の汚れた手にあるということに気が付きます。彼は医師の不清潔な手から未知の死体粒子が患者に移るために産褥熱を引き起こすと考え、後にその予防法として塩素消毒による手洗い法を提唱するのです。その結果、手洗い法が産褥熱による死亡率を1パーセント未満にまで下げられる科学的な証拠を数多く示すのです。
当時は病原体としての細菌の存在も知られていなかった時代です。センメルヴェイスの仮説である「清潔さ」が産褥熱を撲滅する唯一の鍵であるという考えは、当時としては極めて急進的なもので、他のほとんどの医師には無視されたり否定されたりし、嘲笑すら受けることになります。このような世間の反応はセンメルヴェイス反射(Semmelweis reflex)と呼ばれています。その後センメルヴェイスは政治的な理由で病院を追われ、ウィーンの医学界からも追放されて、故郷のブダペストに帰らざるを得なくなったということです。細菌の概念がまだ受け入れられていなかった当時の出来事です。
一般常識に反する事実が提唱されると、単純に信じようとしないというだけでなく、その相手に対して強い攻撃性を持つ傾向が生じるものです。今でも、世間では相手に対して不名誉なレッテルを貼ることで信憑性を落とそうとしたり、データや新たな論文などを受け入れないという認知バイアスが見らます。
最近の例としては、経済学で取り上げられている現代貨幣理論(Modern Monetary Theory: MMT)もそうです。これまでの経済における常識とは大きく異なる説です。経済学者も財務省の官僚も必死になってこの説に対して、次のように反論しています。
「財政運営に対する市場の信認を確保するため、国・地方を合わせたプライマリーバランス黒字化を目指すと同時に債務残高対GDP比の安定的な引下げを目指す」
このような常識的な緊縮財政論は、積極財政論者と激しく対立しています。自国通貨が信認されている場合、積極的な投資によって経済活動を活性化しなければならないのです。しかし、緊縮財政論者は、一般の経済学論への新しい挑戦を受け付けようとしないのです。
センメルヴェイスの業績は後に高く評価され、母親達の救世主と崇められ、ハンガリー人が誇る人物となっており今ではブタペストの広場に彼の像が立ち、記念館も開設されているといわれます。
