Aという考えとBという考えがぶつかり合い、その違いを確認し検証する対話からどちらかを超えたCという考えが生まれます。こうして新しい思想が形成されます。これは弁証法といわれます。少し難しく言えば、対立する二つの意見や主義、つまりテーゼ(These)とアンチテーゼ(Antithesis)をぶつけ合い、その矛盾を乗り越えて、より高次元で包括的な新しい理解や結論であるジンテーゼ(Synthesis)を生み出す発展の論法が弁証法です。
弁証法の英語は「dialectic」です。文字通り対話術と訳することができます。弁証法とは古代ギリシャの問答法に起源を持ち、特にドイツの哲学者、ヘーゲル(Wilhelm Friedrich Hegel)によって体系化されたといわれます。現実世界の発展過程そのものや、矛盾から革新を生むための対話術として、学問分野だけでなくビジネスなどでも活用されています。
ヘーゲルの弁証法の基本的な流れをおさらいしてみます。まずテーゼですが、ある一つの立場を直接的に肯定する段階であり、矛盾とか対立についての自覚はありません。ところがある一つの立場が否定され、二つの立場が矛盾したり対立するアンチテーゼが提起されるとします。人々は、そこから折衷案とか両者をより高い次元のレベルへと発展させたり収斂するように考えます。これが「止揚」(Aufheben)がという思考の論法で、発展させた新たな結論が生まれることが期待されます。このジンテーゼが新たなテーゼとなり、再びアンチテーゼと対立し、さらに高いジンテーゼへと発展していく螺旋的な発展を繰り返すのです。
しかし、私たちの日常的な会話や社会問題の捉え方の大半は弁証法に添うような生成的なものではありません。双方の違いが明らかになるだけで、ある結論にも到達しない場面を見聞きします。例えば政治における政策論議や経済現象における事実の解釈や理論の対立です。両者がボールを投げるばかりで相手のボールを受け取らないような論議です。人間は互いに了解可能だという前提から出発するのが哲学なのですが、政治や経済における実学では、了解しあうようでも容易に意見や思想が一致することはないようです。
なぜ立場の違いを克服しようとしないのでしょうか。この現象を経験したのがドイツ系ハンガリー人の医者で、手洗いなどの消毒法の先駆者として知られセンメルヴェイス・イグナーツ (Ignaz P. Semmelweis)です。彼は産褥熱の発生数を調査し産科医が次亜塩素酸カルシウムで手を消毒することで劇的に産婦の死亡率を下げることが出来ることを発見するのです。しかし、この方法は当時の医学界に受け入れられず、むしろ嘲笑したり憤慨する医師さえいたのです。このように当時の医学者の従前の考えに固執し、それに反する新事実を反射的に拒絶したり排除したりする傾向は後に「センメルヴェイス反射」 (Semmelweis Reflex)と呼ばれるのです。
センメルヴェイス反射という現象は現在の日本でも見られます。それは我が国の国債を巡る議論です。国債残高は、2024年度末には1,105兆円に上ると見込まれています。国民一人当たり900万円の借金だというのです。この状態について、「政府の借金 (債務) は将来世代への負担の先送りだ」とよくいわれます。借金まみれの日本の財政は破綻するというデマです。これは一部の経済学者や一般の人々の常識となっているようです。ですが国債は政府の債務なのであり、国民の負債ではありません。従って国債残高が増えたとしても孫世代が税金で返す必要なんて全くありません。
流布される常識に反する事実が提唱されると、単純に信じようとしないというだけでなく、その相手に対して強い攻撃性を持つ傾向が生じるものです。今でも、世間では相手に対して不名誉なレッテルを貼ることで信憑性を落とそうとしたり、データや新たな論文などを受け入れないという認知バイアスが見られます。歴史を振り返っても、天動説と地動説の対立がどうして起こったかはセンメルヴェイス反射によって説明できます。
立場の違いを克服しようとしない現象が日本の経済や財政政策の論議に見られます。新自由主義(ネオリベラリズム) という「政府による個人や市場への介入を最低限とすべき」と提唱する経済学上の主張と「慢性的な投資不足で民間部門に貯蓄余剰がある場合、財政再建や緊縮財政政策を行うのではなく、これを埋め合わせる財政出動を行うべきだ」とする現代貨幣理論(Modern Monetary Theory: MMT)です。前者は平時から財政規律を守ること、すなわち国民や企業からの税収によってプライマリーバランス(PR)を黒字化するという立場であり、後者は自国通貨を発行する権限のある政府は、中央銀行が財政赤字分の国債を買い続け、国民負担なく財政出動が可能だとする立場です。私の疑問と問いは、弁証法の考え方によってこの二つの立場を止揚する展望、ジンテーゼはなぜ生まれないのかということです。


