Last Updated on 2025年3月15日 by 成田滋
どうにも腑に落ちない学校行事というか活動に、クラブ活動(部活)、修学旅行、給食がある。どれも自分の性に合わないものなのである。自分の不得手な活動ということもある。個人的な嗜好や偏見でものを語るのだから、お叱りを受けるのは覚悟している。それを承知の上で結論から言えばこの3つはかつての軍隊のなごりではないかと、うがった見方をするところからこのブログを始める。
部活
まず部活である。部活そのものの教育上の意義は否定はしない。学習指導要領において特別活動に包有されている。しかし、限度とか節度があるだろう。スポーツ系の場合には勝つためには、しごき、いじめ、ビンタ、蹴るなどの体罰が横行していることは知られていた。それが常態化して自殺となったのが大阪市立S高校のバスケットボール部の男子生徒である。人柱がでることによって体罰はいけないと皆が猛省する。今回のことがなかったら、体罰はこれからも続いていたことだろう。
この高校ではバスケットやバレー部などで体罰があたりまえのように横行していたと報道されている。顧問は、調査の際に「勝つためには体罰が必要だった」と言っている。生徒が自殺に追い込まれるほど部活の練習は厳しかった。勝つためにはしごいてしごいて鍛錬する。戦争に負けは許されないと同様に、生徒は勝つことを厳命されていたのだろう。だからしごきが行われる部活は軍隊活動なのだと言いたいのである。
この学校のホームページには、オリンピックに選ばれた卒業生のことが書いてある。東京、メキシコ、カルガリー、バルセロナ、シドニー、そして北京オリンピックである。「伝統あるスポーツ系部活動」とある。そのためか、学校も教育委員会もしごきや体罰を知っていながら、「優秀な成果を挙げていた」ために素知らぬふりをし、事実を隠蔽する体質となっていった。そして2023年に「学校いじめ防止基本方針」というのを掲げ「スポーツマイン
ドを持った人材を育成するため」と空々しいことを謳っている。
修学旅行
次ぎに修学旅行である。修学旅行の前身は行軍旅行にある。行軍では軍隊色が強いという声から、学習や研究の要素を採り入れて「修学旅行」と称するようになったという経緯がある。庶民の所得が低かった頃は、なかなか遠方へ旅行に行く機会を持てなかったため、修学旅行によって見聞を広めさせることが修学旅行の大きな目的とされてきた。しかし、現在では所得が向上し、海外も含め遠方へ旅行に行く家庭が多くなってきた。加えて進学や就職にマイナスになるということを心配する声から、修学旅行を廃止した学校もある。低所得者が増えたことで修学旅行の費用の捻出が困難となった家庭も多い。
今や修学旅行には、テーマパークを組み入れるなど、物見遊山の気分ででかけることも珍しくない。字義通り「学を修める」学習活動を復権させるところもある。また、団体行動の仕方を学ぶ、仲間意識を強める機会となるという見方もある。しかし、下見旅行など教師の負担は馬鹿にならない。起床から就寝まで教師は緊張しどうしのはずである。生徒の中には、喫煙や飲酒に及ぶこともある。集団行動で大声でわめいたり、大笑いして回りの者を困惑させる。教師はハラハラのし通しである。こんな旅行よりも、家族旅行のほうがよっぽどマナーを身につけさせるのに役立つ。家族の絆も強まる。筆者も通信制高校の校長をしていたとき、3泊4日のスクーリングで団体で宿泊をした。「一晩中、生徒を見張る」ことを余儀なくされたものである。
給食
3番目の給食である。最近、給食中にチーズのアレルギーで死亡した子どもがでた。この事故はもとはといえば、教師のせいではなく給食制度なのである。まず、教師が給食の指導をする必要がどこにあるのかと言いたい。学校給食法には、学校給食を実施するにあたっての目標が規定されている。以下がそれである。
- 適切な栄養の摂取による健康の保持増進を図ること。
- 日常生活における食事について正しい理解を深め、健全な食生活を営むことができる判断力を培い、及び望ましい食習慣を養うこと。
- 学校生活を豊かにし、明るい社交性及び協同の精神を養うこと。
- 食生活が自然の恩恵の上に成り立つものであることについての理解を深め、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。
- 食生活が食にかかわる人々の様々な活動に支えられていることについての理解を深め、勤労を重んずる態度を養うこと。
- 我が国や各地域の優れた伝統的な食文化についての理解を深めること。
- 食料の生産、流通及び消費について、正しい理解に導くこと。
こうした目標はいかがであろうか。果たしてこの時代にふさわしいものかを考えて欲しいのである。まず、学校は、給食をとおして「明るい社交性及び協同の精神を養う」場なのかと問いたい。どうして給食活動が、「生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養う」場なのか。「勤労を重んずる態度を養う」こともピント外れだ。そもそも食生活のマナーなどは家庭がやるべきこと、給食指導は繰り返しになるが教師の仕事ではない。
先進国の例を挙げよう。教師は昼休みになると、ラウンジに戻り、同僚達と昼食をとり、つかぬ間の休息をとり、午後の授業に備える。食堂では別なスタッフが見守る中で生徒は食事をする。給食は、子どもの福利や厚生を目的としている。教育活動ではない。給食を全部または一部を返上して弁当を持参することももちろんできる。
給食の目的は「欠食児童対策」から「教育の一環」と位置づけられた。だが現在の食糧事情や食文化の変容を見渡すと、学校給食法の美辞麗句には呆れかえるほどである。合成樹脂製のランチプレート、食べ始め・食べ終わりの号令も軍隊の名残りだろう。給食の目的は、保健体育、家庭科、理科、社会などの授業や実習で達成すべき内容である。
残さず食べることを強要され会食不全症候群になった子どもはいないだろうか。ムスリムの子どもへの給食上の対応として、「戒律に厳格に則ったハラル食を提供できているのか」という保護者からの懸念がある。「ムスリムの子どもたちは給食の時間、自宅からの弁当を食べている」ということがAERA dotに掲載されていた。
