Last Updated on 2025年2月6日 by 成田滋
学校というところは、外側にいるとわからない奇妙なシステムがあります。いくつか例をあげましょう。このところ、自治体の予算は厳しくなっているようで、教育上の支出にもいろいろ工夫しています。特別支援教育の教師や管理職には、特別な手当てが支給されています。従って特別支援学校の校長退職金は、普通学校の校長の退職金に比べて多くなります。そこで教育委員会は、退職が間近い校長は、特別支援学校の校長として退職させず、普通学校の校長に戻して退職させるという話をききました。こういう人事をやりますので、本来なら特別支援教育の専門性をもっと発揮してもらいたい校長がいても、退職金の関連で移動させるという措置を講じるのです。それにもまして、特別支援学校の管理職や特別支援学級の教師に、なぜか特別な手当が出ているのかが不思議です。
学校は、いまや危機管理に敏感になっています。登下校や校内やでの子どもの安全対策として、「危機管理のマニュアル」が作られています。そうした対応はうなずけるのですが、マニュアルのなかに奇妙な事項が入っています。それは、学校に持ち込まれる保護者のクレームや苦情にどのように対応するか、という事項が危機管理のマニュアルに入っているのだそうです。保護者は、学校に対して説明の責任を求めることができます。今はそうした時代です。保護者は学校に教育をお任せする時代ではありません。教師と一緒になって子どもの成長を支えるために参与しなければなりません。
多くの保護者が、自分の子どもの教育について学校任せであったこと、学校も権威や専門性をかさにして保護者の意見をないがしろにする傾向がありました。ところが保護者の中には、相当過激な要求や理不尽な要望をする「モンスター・ペアレント」がいるので、管理職と教師はそれにどのように対応するかが話題となるのです。保護者の「子どもの教育をお願いします、お任せします」というのは過去のことなのです。保護者の多くは、担任教師と話し合っても、らちがあかないと思うことがあります。それで、直接学校長や教育委員会に申し立てるのです。「モンスター・ペアレント」のような保護者からの要望はいつでも受け付けるという仕組みが必要です。「危機管理のマニュアル」で警戒するという姿勢は、学校が受け身であることを物語っています。
話題は変わります。発達障害のことです。この定義には、LD, AD/HD,自閉スペクトラム症(ASD)があります。どの学校のどの学級にも一人や二人はこうした子どもがいます。この子どもたちは、これまでは教室の中にいるだけで、十分な指導を受けてきませんでした。教師もこうした子どもの対応に配慮しようとしてきたのですが、なにぶん30名以上の生徒の指導が先で、個別の対応が困難でした。
新学期が始まる前に、発達障害の子どもが入るクラスにどの教師を配属するかでは、教師は非常に緊張するようです。自分がそうした子どもの担任になることに不安なのです。このクラスを自ら引き受けようとする教師は少ないのです。
普通学校で心神耗弱になった教師が復帰後、特別支援学校や学級に配置されることがあります。特別支援教育の免許がなくてもよいのです。特別支援教育は、教師のリハビリの場にもなるというわけです。こうした人事に対して保護者の不安や心配は当然のことです。大学の教員養成課程で「特別ニーズ教育」や「特別支援教育」が必須とはなっていますが、実践によって応用力を身につける機会が欠けているのも問題です。ただ、保護者でつくる学習会が、対面やSNS上で草の根のように広がりつつあるのは心強いことです。