ルサンチマン(ressentiment)は、フランス語です。弱者が敵わない強者に対して内面に抱く、「憤り・怨恨・憎悪・非難・嫉妬」といった感情のことです。そこから、弱い自分は「善」であり、強者は「悪」だという「価値の転倒」も生まれるのです。ルサンチマンを持つ者は他人が持つ価値を否定することで納得しようとします。イソップの童話(Aesop’s Fables)に「酸っぱい葡萄(The Fox and the Grapes)」の話が登場します。腹を空かせたキツネが、高い処にある葡萄を取ろうとしますが、何度も失敗します。諦め際に「あれは酸っぱいに違いない」と負け惜しみを言うので有名です。
「他人の幸せが許せない」、「他人の利益を不快に感じる」などの理由で破壊的な言動を行い、他人と敵対することになります。また、深刻な場合、誤った被害者意識を生み出し人を犯罪へと向かわせるため、破滅的な結果を招いてしまうこともあります。無差別殺人や脅迫を行うことなどがその例です。モンスター・ペアレンツもその一例かもしれません。ネットの誹謗中傷や無差別に行われる犯罪行為、逆ギレによる犯罪、いじめについても、ルサンチマンが問題の本質であるとの指摘があります。
哲学において、ルサンチマンは、恨みや敵意の形態の一つです。この概念は、19世紀の思想家、特にフリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Nietzsche)の関心を集めます。彼の用法によれば、ルサンチマンとは、自分のフラストレーションの原因と認識する対象に向けられる敵意、つまり自分のフラストレーションの責任を他人に押し付けることです。「原因」に対する弱さや劣等感、そして場合によっては嫉妬さえも、拒絶/正当化する価値観、あるいは道徳を生み出し、フラストレーションの原因と認識されるものを攻撃したり否定したりします。この価値観は、嫉妬の源泉を客観的に劣っているものとすることで、自らの弱点を正当化する手段として利用されます。恨みを抱く個人が自身の不安や欠点に向き合い、克服することを妨げる防衛機制としても働きます。そして自我は、自らを罪から守るために敵を作り出します。
ニーチェはキリスト教の起源をユダヤ人の支配者ローマ人に対するルサンチマンであるとし、キリスト教の本質はルサンチマンから生まれたゆがんだ動機にあるとしたのは有名です。キリスト教の原罪の価値観や考え方、禁欲主義はルサンチマンの産物と主張したのです。ニーチェによれば、ルサンチマンを持つ人とは「行動によって反応することが禁じられているので、単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをするような徒輩」であるとも主張します。もちろん、このようなニーチェの見方に対する反論は多数あります。
ルサンチマンを抱く人間の行為は、抑圧や虐げへの反動として受動的であり、抑圧してくる外の世界の否定が先にくるという特徴があります。ニーチェは、ルサンチマンを抱く人間を自発的に行為する力を無くしたという立ち位置から「弱者」とか「奴隷」と呼んだほどです。

