2025年11月上旬、高市早苗総理の国会答弁で中国・台湾情勢に関して「武力行使を伴う場合は存立危機事態になり得る」と発言したことが報じられました。これについて、中国側の在大阪総領事が自身のSNSで暴力性が強い書き込みをして物議を醸しました。投稿は外交官として極めて不適切かつ暴力的な表現として日本国内外で大きな批判を受け、その後削除されたとのことです。
自民党外交部会などは中国総領事に対する非難決議を採択し、場合によっては「好ましからざる人物」として国外退去を求めるべきとの決議もだす顛末となりました。外交官のうち、接受国である受け入れ国がその国に駐在する外交官として入国できない者や、外交使節団から離任する義務を負った者を指す外交用語に「ペルソナ・ノン・グラータ(Persona Non Grata)」があります。この意味は、「好ましからざる人物」「厭わしい人物」「受け入れ難い人物」という意味の言葉です。この用語はラテン語といわれ、英語では「person not welcome」となります。ウィキペディアによりますと「ペルソナ・ノン・グラータ」では、personaは人物を意味し、nonは〜でない、そしてgrataは歓迎されるという意味です。
「ペルソナ・ノン・グラータ」は外交関係に関するウィーン条約第9条にある外交官規定にそって同第23条で謳われています。すなわち、派遣国に対しその者を本国に呼び戻すこと、または任務の終了を求める権利があり、派遣国はそれに応じる義務を負うという規定です。もし、接受国が「ペルソナ・ノン・グラータ」と認定すれば、国外退去を要求する措置がとられます。
過去に幾多の「ペルソナ・ノン・グラータ」が各国で発動された事例があります。日本が発動を受けた例は、戦前のヨーロッパです。1937年に外交官であった杉原千畝に起こったことです。1939年からリトアニア(Lithuania)のカウナス(Kaunas)領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランドなど欧州各地から逃れてきた難民たち、その多くはユダヤ人の窮状に同情し、1940年7月から8月29日にかけて大量の通過査証であるビザ(Visa)を発給したことで知られています。
杉原は反革命なロシア人との交流を理由にソ連より、やむなくリトアニアに赴任します。その後ソ連によるバルト諸国併合により領事館が閉鎖となり、当時ドイツ領であったプラハ(Prague)へ移ります。その後東プロイセン(russia)のケーニヒスベルク(Königsberg)へ異動となります。今度はナチス・ドイツにより拒否されルーマニア(Romania)のブカレスト(bucharest)へ異動となったという経緯です。
外務省の方針に反してナチスから逃れてきた多くのユダヤ人避難民に日本通過ビザの発給したのが杉原氏です。戦後、外務省から新しいポストがないことを理由に、杉原に退職通告書が送られます。少なくとも彼の行為が「好ましくない独断行動」と見られていた可能性は高いといわれます。彼も「ペルソナ・ノン・グラータ」とされたのです。しかし、2000年になって当時の河野洋平外務大臣の顕彰演説によって、日本国政府による公式の名誉回復がなされるのです。

