Last Updated on 2024年12月28日 by 成田滋
ウィスコンシン州の経済は、州成立初期から多様化していきます。鉛採掘が衰退する一方で、農業が州の南半分で主要な職業となります。穀物を市場に輸送するために州全体に鉄道が敷かれ、ミシガン湖畔の都市ラシーン(Racine)の J.I.ケース会社(J.I. Case & Company) のような産業が農業機器の製造のために設立されました。ウィスコンシン州は 1860年代に一時的に国内有数の小麦生産地となりました。
他方、森林が密集したウィスコンシン州北部では製材業が主流となり、ラクロス(La Crosse)、オークレア(Eau Claire)、ワソー(Wausau)などの都市に製材所が出現しました。しかし、これらの経済活動は環境に悲惨な影響を及ぼしてしまいます。19世紀末までに、集約農業は土壌の肥沃度を破壊し、製材業は州の大部分の森林を伐採しました。これらの状況により、小麦農業と製材業はともに急激に衰退します。
1890年代初頭、ウィスコンシン州の農家は、土地をより持続可能かつ収益性の高い方法で利用するために、小麦栽培から酪農生産へと転換します。多くの移民がチーズ作りの伝統を受け継いでいき、この伝統とウィスコンシン大学(University of Wisconshin)のスティーブン・バブコック(Stephen Babcock)が率いた酪農研究が相まって、ウィスコンシン州は「アメリカの酪農地帯」という評判を築くのに役立ちます。
他方、アルド・レオポルド(Aldo Leopold)などの自然保護論者は、20世紀初頭に州の森林の再生を支援し、より再生可能な製材および製紙産業への道を開き、北部の森林地帯でのレクリエーション観光を促進します。20世紀初頭には、ヨーロッパからやってきた膨大な移民労働者によって、ウィスコンシン州で製造業も急成長します。ミルウォーキー(Milwaukee)のような都市の産業は、醸造や食品加工から重機製造や工具製造まで多岐にわたり発展します。やがてウィスコンシン州は1910 年までに総生産額で米国の州の中で第8位にランクされます。
(投稿日時 2024年9月3日) 成田 滋