Last Updated on 2025年2月26日 by 成田滋
戦国武将は好んで囲碁を嗜んでいたことが記録されています。戦に備えて碁を打ち、英気を養い作戦を考えていたに違いありません。真田昌幸のその一人です。NHK大河ドラマ「真田丸」では昌幸の息子、信繁(幸村)が主人公でした。この二人の囲碁対局のシーンがよく登場したのは記憶に新しいところです。
真田昌幸は、「第一級の武将」「理性に富んだ武将」と讃えられることが多く、戦では「勝つ戦略よりも負けない戦略」を信条としたと伝えられています。策略に長けていたともいわれます。昌幸は、元々は武田信玄の側仕えである近習の一人です。昌幸には信繁の他に信之という息子がいました。関ケ原での合戦が近くなると、東軍につくか西軍につくかを選ぶ時、真田の家を絶やさぬため、信之には徳川方、信繁には豊臣方につくようにさせたという逸話があります。犬伏の地で行われたので「犬伏の別れ」といわれています。
昌幸を「わが眼の如し」と信頼していた武田信玄の囲碁好きは、「甲陽軍艦」という軍記に記されています。同様に昌幸も大の囲碁好きです。かなりの実力者だったようです。息子の信之と対局した棋譜も残っています。これが本物の棋譜かどうかは分かりません。
(2021年10月14日)
