Last Updated on 2025年2月28日 by 成田滋
「時は過ぎゆくにあらず、われら過ぎ去るなり」といったのは川端康成です。私は、文学に現れる碁の世界を調べていくうちに新潮社版の「名人」という作品に出会いました。「名人」とは第二十一世本因坊秀哉のことです。本名は田村保寿。「過ぎ去る」人物の主人公はこの人です。川端は東京日日新聞、現在の毎日新聞に名人の引退碁の観戦記を依頼されます。この観戦記を昭和17年に小説風に書き改めたのが「名人」です。そのとき川端は40歳でした。観戦記者川端のペンネームは浦上秋男となっています。
この作品を読んで感じることは、観戦記にしては随筆のようであることです。随筆的な小説でもある印象を受けます。観戦記なのですが、川端は後に「やはり私の小説である」と述懐しているのですかそうなのでしょう。小説に登場する名人の相手は「大竹七段」です。この引退碁での相手は木谷實七段です。当時本因坊秀哉は64歳、木谷は29歳です。
この小説の序文は次のような記述です。
「第二十一世本因坊秀哉名人は、昭和十五年一月十八日朝、熱海のうろこ屋旅館で死んだ。数へ年67であった」 名人と川端との縁は、東京日日新聞が引退碁の観戦記者に選んだことから始まります。「新聞社の催し物の碁として、この対局は空前絶後に大がかりであった。六月二十六日に芝公園の紅葉館で打ち始め、伊東の暖香園で打ち終わったのは十二月四日であった。一局の碁に半年を費やした」と書いています。川端は日日新聞に観戦記を66回にわたって連載します。 (2023年7月21日)
