Last Updated on 2025年2月5日 by 成田滋
アメリカのプロテスタントも移民によって多様化していきます。18世紀初頭に数千人のドイツ人が到着したことで、特にペンシルベニア州西部に、メノナイト(Mennonites)、モラヴィア兄弟(Moravians)、シュウェンクフェルダース教会(Schwenkfelders Church)などのドイツの敬虔主義(German pietism)がもたらされます。シュウェンクフェルダース教会とは、カスパー・シュウェンクフェルドCaspar Schwenkfeld von Ossig)が創設し、宗教改革の教えに根ざした小さなキリスト教団体です。当時ヨーロッパでは敬虔主義のキリスト教徒はさまざまな迫害を受けていました。それが新大陸への移民を促進したのです。
新たに再洗礼派(Anabaptists)の教徒もドイツの州から到着し、新しい土地にバプテスト教会の基盤を広げます。 1687年以降に新たな迫害から逃れたフランスのユグノー(Huguenots)は、パッチワークキルトのようなアメリカのキリスト教会にカルヴァン主義(Calvinism)というブランドを加えていきます。ただ、ユグノーは、1650年代にすでにアメリカ大陸に到来していました。
ユダヤ人は1654年に当時のオランダからニューアムステルダム、現在のニューヨークに到着し、オランダ西インド会社(Dutch West India Company)から亡命を許可されました。当初ピーター・ストイフェサント(Peter Stuyvesant)知事は、ブラジル北部からニューアムステルダムに恒久的な入植を目指し、パスポート無しのユダヤ人を受け容れませんでした。クエーカー教徒、ルター派、および「教皇主義者」に対する寛大さの前例になると杞憂したからでした。しかし、1763年までに、ユダヤの会堂(synagogues)はニューヨーク、フィラデルフィア、ニューポート(New Port)、ロードアイランド (Rhode Island)、サバンナ(Savannah)、およびユダヤ人の商人の小さなコミュニティが存在する港湾都市に設立されていきました。
1740年代のアメリカ植民地における宗教生活は、すでに独特の色彩を帯びていました。物質的な繁栄が進むと建国当時の苦労が薄れてゆき、当初の信仰への熱意は冷めていきます。こうした中で、信仰への揺り戻しが起こります。これがリバイバル(Revival)と呼ばれる信仰覚醒運動です。
再洗礼派の教えは、幼児洗礼を否定し、成人の信仰告白に基づく成人洗礼を認めるのです。ルターと並んで宗教改革の初期の立役者の一人、スイス人のフルドリッヒ・ツヴィングリ (Huldrych Zwingli)は再洗礼派の先駆者といわれます。