Last Updated on 2025年2月16日 by 成田滋
北アメリカの支配をめぐる争いの主役は、もちろんアメリカの先住民族です。現代の歴史家はおうおうにして、アメリカ先住民とヨーロッパ人の出会いを、「新世界の発見者」が「未開人」の住む「荒野」を見つけるというような古いレンズでとらえがちです。そうではなく、異なる文化が相互作用し、より良い武器を持ったヨーロッパ人が最終的に現地の人々を征服する、というストーリーを描きます。その筋書きはお互いが相手から慣習や技術を取り入れ、協調するというものではありませんでした。
イギリスの政策は、スペインやフランスの北アメリカ植民地支配とは大きく異なっていました。南西部に広く分布するスペインの帝国は、散在する駐屯地と伝道所に依存して、先住民族を支配下において利用しやすいように占有することに成功しました。カナダでは、フランス人は自分たちの側の先住民族を毛皮の収集者として扱い、広大な森林を事実上所有することにしました。イギリスの植民地は、やがてその強みを発揮し、先住民族の所有地から確保した広大な土地を独占的に耕作するために、農業従事者の移住を奨励するようになります。
こうしてイギリスの植民地の役人は土地の購入から始めましたが、このような取引は、天然資源の集団または個人の「所有権」という概念そのものが異質である先住民族にとって不利に働くものでした。先住民族の代表者は必ずしも土地の所有者ではなかったのですが、「売買」が成立した後、先住民族は自分たちが狩猟や漁業の権利を放棄したことに驚き、入植者は先住民族の文化が認めない無条件の支配権を持つようになったのです。
先住民族と白人との戦争は、クリストファー・コロンブスの上陸に始まるものです。「豊かで安い土地」を求めて白人入植者が西進するようになると、当然そこに住む先住民族との摩擦が起こります。住み慣れた領土を追われそうになり、先住民族は激しく抵抗していくです。