日本にやって来て活躍した外国人 その四十四  エライザ・シドモア

Last Updated on 2020年9月5日 by 成田滋

Eliza R. Scidmore

アメリカ人で著作家・写真家・地理学者であったエライザ・シドモア(Eliza R. Scidmore) のことです。オハイオ州のオーバリン大学(Oberlin College)に学びます。旅行に関心を抱いたのは、1884年から1922年まで在横浜米国総領事館に外交官として勤務していたジョージ・シドモア(George Scidmore)に因るところが大きかったようです。当時の日本は、西洋からの訪問者に対して門戸を開いたばかりだったので、シドモアはしばしば兄の任務に同行し、一般の旅行者にはアクセスできない地域へも渡航することができました。

19歳のときに初めて「National Republican」紙のコラムを担当し、その後、「New York Times」紙を含むさまざまな新聞に、ワシントンD.C.の社会に関する記事を投稿し、文筆が認められていきます。日本には3度も訪れて合計3年間滞在し、全国を行脚して様々な記録を残します。『ナショナルジオグラフィック』(National Geographic)の紀行作家であり地理学者。女性として初めて米国地理学協会の理事に就任し、東洋研究の第一人者として活躍した。後に、シドモアはナショナル ジオグラフィック協会の理事に選ばれた最初の女性です。

日本に関する記事や著作も残しています。「日本・人力車旅情」(Jinrikisha Days in Japan)を著し、1896年には三陸地震津波の被災地に入って取材し、「The Recent Earthquake Wave on the Coast of Japan」をナショナル・ジオグラフィックの9月号に寄稿しています。この投稿で、彼女は「Tsunami」という言葉を使っています。

Potomac River, Washington DC