Last Updated on 2018年2月7日 by 成田滋
この小説は、松の花、箭竹、梅咲きぬ、不断草、藪の蔭、糸車、風鈴、尾花川、桃の井戸、墨丸、二十三年、という11の短編から成ります。そこに貫くテーマは男の「武士道」に対する女の「婦道」ともいうべきものです。自分らしく生き、自分以外の人々を仕合わせにすることを実践した11人の女性たちを描いた作品から成ります。妻の死をもって妻の偉大さを知る夫、夫への忠誠心を貫き、女手一つで息子を武士に育て上げる姿、夫の小言に苦しむ妻、鼓や和歌で豊かな才能を持ち縁談を断る女性など、個性的な生き様と矜持が伝わります。
この作品は、昭和十八年の直木賞にノミネートされます。しかし山本は賞を辞退します。直木賞の受賞歴で唯一彼だけが断るという異例の事態です。その後も持ち込まれる文学賞をすべて辞退するのも、ただ異をたてるのをよしとする「曲軒精神」だけではなく、作者にとって読者から与えられる以上の賞があろうとは思われぬ、という信念に発した所為だったといわれます。「曲軒」とはへそまがり。山本を「曲軒精神の持ち主」と呼んだのは先輩作家の尾崎士郎といわれます。
昭和十八年は敗戦が濃厚になる時期。誰もが耐乏生活を強いられた頃です。この小説は、山本の貧乏生活を支えた妻が難病になり、幼子を残して死に向かっている頃に書かれたようです。この小説は、世間の評価はおおむね日本女性の献身を描いたものだということのようです。山本はそうした評価に大いに不満だったといわれています。
直木賞をもらえば現金収入にもなりますが、そのような打算は許さなかった誇りが山本にあったようです。直木賞選考委員の資質にも山本は大いに不満があったようです。「そんな者達から評価を受けるのは真っ平ご免」。まさにへそまがりだったのでしょう。