初めに言葉があった その11 「見ないで信じる者は幸いである」

長男には二人の息子がいます。私の第一と第二の孫です。中学三年と中学一年になりました。マサチューセッツ州 (Commonwealth of Massachusetts) のプリンストン (Princeton) という静かな田舎町に住んでいます。

2007年から2008年にかけて半年間、大阪の豊中市にやってきました。長男が職務を離れた長期休暇であるサバティカルを利用して阪大に研究でやってきたからです。二人は地元の小学校と幼稚園にはいりました。上の孫は会話ができず、一斉授業にもついていけず、毎朝登校を嫌がっていました。日本語を学ぶクラスもありませんでした。下の孫は、幼稚園で意地悪をされたようで、相手を叩いて叱られて帰ってくることもありました。

週末になると、大好きな新幹線や飛行機を見に、新大阪や伊丹へモノレールで出かけていました。とにかく二人とも乗り物には夢中でした。特に新幹線については、データベースができるほど細部にわたって特徴や性能を吸収していきました。

友人家族が兵庫県の赤穂市での潮干狩りに誘ってくれました。「こだま」に乗って相生駅にやってきました。そこは、のぞみやひかりが通過する駅です。プラットフォームで、上りと下りの新幹線がすれ違う光景に目を白黒させていました。轟音に耳をふさぐ姿は滑稽な位でした。

楽しい半年の思い出のつまった豊中を発つ朝でした。玄関前で「プリンストンに帰ったら友達に新幹線の話をしてやるとみんな喜ぶよ、、」といってやりました。「新幹線を説明するときは、ビデオや写真を見せるといいよ、、そのほうがわかりやすいから、Seeing is believingっていうだろう、」

すると孫が、「おじいちゃん、世の中には見ることで信じることにはならないものもあるんだよ、、」というのです。一瞬、ガツンと叩かれたようでクラクラしました。孫は信仰とか信じるということの智識を既に身につけつつあったのです。「見えないものを信じる」姿勢を孫から思い起こされる別れの時でした。「見ずに信じる者は幸いなり」ということばが浮かびました。

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成田滋