リベラルアーツ教育  その12 「日本巡察記」と日本人の風習と形儀

Last Updated on 2016年5月17日 by 成田滋

iiqajtirvN images 20130531094501イエズス会の司祭アレッサンドロ・ヴァリニャーノ (Alessandro Valignano) は、イエズス会が日本に最高監督者として派遣した巡察師です。安土桃山時代のことで、織豊時代ともいわれます。まだ各地に戦国大名が割拠していた時代です。織田信長が存命中は、イエズス会は筑前、筑後、肥前、肥後、豊前、豊後、畿内などで宣教を許されていました。

宣教活動が可能になったのは、大村純忠、松浦隆信、有馬鎮貴族、大友宗麟、小西行長、高山右近らの切支丹大名から厚い庇護を受けていたからです。しかし、同時にヴァリニャーノはこうした大名から、在日イエズス会宣教師の非日本人的態度について注意を受けていました。そのため、同僚の宣教師を教導するために日本の風習や形儀に関する心得書を著す必要を認めていました。

イエズス会員の間では、日本で仏教の僧侶のような習慣や儀礼を守ることが適切であるかどうかが討議されます。日本の風習はヨーロッパのそれと異なり、日本国内では欧風では無礼にあたることが生じて、順調に伝道できないことがわかってきます。そこで巡察師ヴァリニャーノの名によって日本人自身の手で適当な心得書が作製されるべきことが決められます。

ヴァリニャーノは日本の習俗や習慣を深く調べ、日本の宗教から範例を採用するにあたり禅宗を選びます。禅宗こそが日本の社会ともっとも密接な関係があり、参考とするにもっともふさわしいと考えたのです。他にも、大友宗麟がもともと禅宗に帰依していたことも知っていました。織田信長の時代は禅宗は勢いを失っていましたが、なお、日本での仏教の中で有力な宗派と考え、臨済宗をもって日本のおけるイエズス会の秩序を定める際の規範として選びます。

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