Last Updated on 2025年3月4日 by 成田滋
理論物理学者、ロバート・オッペンハイマー(Julius Robert Oppenheimer)に関する映画を観ました。第二次世界大戦中のロスアラモス国立研究所(Los Alamos National Laboratory)の初代所長としてマンハッタン計画(Manhattan Project)を牽引し、卓抜なリーダーシップで原子爆弾の開発で指導者的な役割を果たしました。それ故に「原爆の父」と呼ばれましたが、戦後はアメリカの水爆開発に反対したことによって追放された科学者です。
1958年にオッペンハイマーは各地を訪れて講演や講義をします。パリ(Paris)、ブリュッセル(Brussel)、アテネ(Athene)、テル・アビブ(Tel Aviv)です。そして1990年の9月にオッペンハイマーは来日します。後に彼は次のように述懐しています。「原爆の開発には大義があったと信じている。しかし、科学者として自然について研究することから逸脱して、人類の歴史の流れを変えてしまった。私にはそれに対する答えがない」物理学者として、また一人の人間としての矜持を示す言葉といわれています。
