その一 「記録は証拠とならなかった」

Last Updated on 2025年3月3日 by 成田滋

最近パソコンを乗っ取り、そこから持ち主になりすまして脅迫のメッセージを送りつけて世間を騒がした事件が続いている。発信記録から身に覚えがないと主張した男性は自白せざるを得なくなり逮捕された。そして釈放され警察は謝罪するという顛末である。

 捜査の過程については警察は「ウイルスチェックも行い、書き込みがあった時間に持ち主が自身の部屋でパソコンを操作していることも確認した」という説明である。本人が知らぬ間に、ダウンロードしたファイルにウイルスのようなものが仕込まれていたようである。発信記録がパソコンに残っているという証拠を見せられ、「これが目に入らぬか」という黄門様の御紋を突きつけられてはどうしょうもなかったのであろう。

 捜査の側は、証拠となる記録がパソコンにあったというので、持ち主を逮捕したのであるが、これが真犯人ではないと分かったときは、さぞ驚きじだんだ踏んだことだろう。誤認したわけだから。証拠というのは、白を黒とすることができれば、その逆も可能であることを示している。「性質や行為を明示する跡」を証拠としたのである。

 証拠という用語は教育や心理の業界では「エビデンス」と呼ばれる。しかし、やたらにこの用語が使われていることに筆者は一抹の不安と疑問がある。その理由をこのシリーズで取り上げる。

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