誠に短い時間でしたがバルカン半島の一部を旅しました。ヨーロッパとアジアの接点にある半島であるがゆえに、民族紛争や覇権争い、戦争が数多く起こったところです。バルカン半島は、「ヨーロッパの火薬庫」(European gunpowder)とも呼ばれました。遙か昔の話しですが、こうした事実は高校の北海道旭川西高校時代の世界史で学びました。バルカン半島を訪ねたときその頃を思い出しました。
バルカン半島の多くがトルコの支配下にありました。しかし、トルコの支配力低下と共に国民国家の概念がもたらされます。ギリシア正教(Greek Orthodox)やスラヴ(Slavs)民族主義の関係を利用してロシア帝国がこの地域へ勢力を伸ばそうとしたことで、ロシアとオーストリア、トルコの対立が先鋭化していきます。1914年6月、オーストリアとハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント(Franz Ferdinand)大公夫妻が銃撃されるというサラエボ(Sarajevo)事件を契機に第一次世界大戦が勃発します。
バルカン半島の地図を見れば、いかに領土や覇権を巡る争いが多いかったことは次の国々がひしめいていることでわかります。スロバキア(Slovakia)、スロベニア(Slovenia)、クロアチア(Croatia)、ボスニア(Bosnia)、セルビア(Serbia)、モンテネグロ(Montenegro)、コソボ(Kosovo)、マケドニア(Macedonia)、アルバニア(Albania)、モルドヴァMoldova)、ハンガリー(Hungary)、ルーマニア(Rumania)、ブルガリア(Bulgaria)、ギリシュ(Greece)、トルコ。皆、民族と宗教の違いが色濃く反映される地域です。民族の多様性とは一体人々を幸せにしてきたのか、と問いたくなります。バルカン半島は、これからも目を話せないかもしれないのです。特にシリア(Syria)が絡む難民問題などです。
世界史でユーゴスラビア国のチトー(Tito)という大統領のことを少し学びました。この社会主義連邦共和連邦の解体がユーゴスラビア紛争へ繋がります。そして、スロベニア、クロアチア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナが独立します。1992年、セルビア共和国とモンテネグロ共和国から成るユーゴスラビア連邦共和国が成立します。その間のバルカン半島での政治闘争は悲惨なものでした。