明治時代に再来したカトリック教会は、新しく布教を開始したプロテスタント教会に比べて聖歌集の数が少ないといわれます。それには理由があります。もともとカトリック教会では、ミサで聖歌を歌うのは司祭および聖歌隊など特定の人でありました。会衆は静かにそれを聴いていたのです。外国人宣教師の中に聖歌集の編纂に携わるに音楽家はいなかったことにも原因していたようです。
他方、プロテスタント教会ですが、16世紀の宗教改革運動は、ドイツ語聖書と信仰問答書と讃美歌によって進められたともいわれます。ルター(Martin Luther)から始まるコラール(Choral)という会衆賛美歌が礼拝で歌われるようになり、バッハ(Johann S. Bach)をはじめ有名な作曲家によって数々の宗教音楽が作られ今に至っています。そこから会衆が歌うという伝統がつくられたのです。会衆が歌うことによって多くの歌が生まれ、宗教的な民謡の普及も広まり、19世紀以降の讃美歌は、聖書的表現と伝統的な教理を結びつけることにより歌詞が福音的な内容になっていきます。
カトリック教会では日本語聖歌がミサの中心となることはありませんでした。ただ歌によるミサが行われたのは都市部の限られた教会で、ミサ以外では集会や日曜学校で歌われたようです。通常、朗誦ミサがほとんどを占めていたのが日本とカトリック教会です。西洋の音楽を日本人が習得するまでに、またカトリックの作曲家を生むまでにかなりの時間を要したようです。日本人によるカトリック聖歌が現れたのは、昭和初期時代になってからといわれます。時代を経て1970年代に入って新しい聖歌集「典礼聖歌」を作ます。そしてプロテスタント教会の賛美歌のように会衆も歌うようになります。