キリスト教音楽の旅 その13 東京復活大聖堂とロシア正教会

先日、淡路島からきた友人と都内を散策しました。丁度日よりも良く20,000歩ほど歩きました。最後に回ったのが神田のニコライ堂です。正式名は、日本ハリストス正教会(Orthodox Church in Japan)「東京復活大聖堂」(Holy Resurrection Cathedral in Tokyo)とあります。この教会はロシア正教会と思っておりましたが、調べてみると間違っておりました。

現在のロシア、ウクライナ(Ukraine)、白ロシアの祖先である東アラブ族が統一国家をつくったのは9世紀後半といわれます。980年頃、ウラジミール1世(大公)(Vladimir)がギリシャ正教を国教と定めます。ウラジミール1世はビザンチン皇帝(Byzantine)の妹を妻として自らもギリシャ正教に改宗します。この時からロシア正教の公式な歴史が始まるといわれます。一般大衆は農耕と結びついた自らの宗教である太陽神を中心とした多神教を信じ、ロシア正教と原始宗教との抗争が続きます。結局はキリスト教のロシア化という形で原始宗教の諸行事がキリスト教の中に取り入れられていきます。

正教会が広まった地域がビザンチン(Byzantine)です。ビザンチン帝国、別名東ローマ帝国の首都であったコンスタンチノポリス(Constantinople)の旧名、ビュザンチオン(Βυzanνtiοv)を語源とするといわれます。コンスタンチノポリスは今のイスタンブール(Istanbul)です。ビザンチンは東ローマ帝国及びその文物を指す名称です。

正教会は一つの国に一つの教会組織を置くことが原則とされます。ギリシャ正教会、ロシア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、日本正教会といった具合です。ことなる教義を信奉するのではなく、同じ信仰を有しています。神田のニコライ堂はロシア正教会の司祭ニコライ(Nicholas)によって正教の教えがもたらされ、日本ハリストス正教会の設立となります。