歌も作詞家も作曲家も先の大戦に巻き込まれた歴史があります。誰が非難されるべきかではなく、どうしたらこのような悲劇的な歴史を繰り返さないようにすべきを考えたいものです。作曲家、信時潔の作品から特にそう感じます。彼は1887年、大阪生まれです。少年の頃から賛美歌に親しんだといわれます。東京音楽学校でチェロを学びながら対位法や和声楽を学びます。そして1920年にチェロと作曲研究のためにドイツに留学します。帰国後は、留学生が必ず保証されている同学校の教授となります。
1937年、大伴家持の歌詞「海ゆかば」を作曲します。大戦中、「海ゆかば」は国歌より多く歌われていたといわれます。そういえば国立競技場における学徒出陣の際も、最後に学生も観客もこの歌を歌っています。
海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへり見はせじ
信時が得意の賛美歌でレクイエム調の荘厳な歌曲としたようです。太平洋戦争末期に大本営が玉砕を報じる時にそのテーマ曲に使われたといわれます。