心に残る名曲 その百七十七 ディランとエスニシティ

ボブ・ディランの生き方の下敷きとなっている宗教とかエスニシティ(ethnicity)を振り返り、このシリーズを終わりとします。エスニシティとは、「民族性」とかある民族に固有の性質や特徴のことです。ただ、この話題は少々微妙なところがあります。ディランの個人的な信仰や民族的な背景は複雑です。もしかしたら、彼の歌詞の語り手の原点にかかわることかもしれません。

ディランの祖父母はウクライナ(Ukraina)のオデッサ(Odessa)の出身で、その家族はアルメニア(Armenia)やコンスタンチノープル (Constantinople)に住んでいたユダヤ人です。19世紀後半からロシアで起こったポグロム(pogrom)というユダヤ系の人々に対する計画的な集団虐殺から逃れてアメリカに移住し、ミネソタ州ダルース近くのヒギンス(Higgins)という町に定住します。ミネソタに定住してからディランの父母は親族を呼び寄せたといわれます。ヒギンスにも反ユダヤ主義は強かったようです。ですがディランは当然ながら、ユダヤ法を守る宗教的・ 社会的な責任を持った成人男性となる儀式、バーミツワ(Bar Mitzvah)を受けます。

アメリカに移住した人々は、しばしば主流社会の人々から偏見を持たれてきました。こうしたエスニックなルーツを持つことにディランはどのような態度で音楽活動に臨み、そのエスニシティが音楽に顕れたが気になります。ディランの元の姓は「Zimmerman」でしたが、これを意図的に改姓するのです。自己否定とはいわないまでも、彼の屈折した態度が改姓に顕れているような気がします。アメリカの主流社会に同化しようとしたのかもしれません。

ディランの歌詞を読んでみると、アメリカ主流の福音的な人々などの聴き手が容易に共感できるような語り口でないようなところも感じます。「意味不明」という世評です。ですがディランは、特定の宗教やエスニシティに即した感情や思想を持とうと持つまいと、あまり憶することなく歌うという姿勢が感じられます。たとえ仏教徒でもカトリック教徒でもイスラム教徒でも、黄色人種でも黒人でも受け入れられているような気がします。

通常、歌詞の語り手は、エスニシティを特定できるように自己を提示することはしません。多くのアメリカ人が共鳴できる、特定不能な超越的な自己による語り手を目指すものです。ディランの歌には、反体制的な志向とか若者文化へ寄り添うような歌詞はそう多くはないといわれます。社会の規範や道徳に対して、あからさまに挑戦するような歌い手でもないようです。放浪者のイメージや抑圧や拘束を嫌う自由人のイメージはありますが、アメリカ主流社会の感性をなで切りにするものでもありません。それが世界中から彼の歌が受け入れられている理由のようです。

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