作曲家、ディミトリー・ティオムキン(Dimitri Tiomkin)は、ハリウッド映画音楽に偉大な功績を残した人です。マックス・スタイナー(Max Steiner)、ミクロス・ロージャ(Miklos Rozsa)とならぶ作曲家でもあります。
ロシア帝国領ウクライナ(Ukraine)のクレメンチューク(Kremenchuk)で生まれ、サンクトペテルブルク音楽院(St. Petersburg Conservatory)で教育を受けます。音楽院では、ピアノをブルメンフェルド(Felix Blumenfeld)やヴェンゲロヴァ(Isabelle Vengerova) という教師から、作曲はグラズノフ(Alexander Glazunov)から学びます。やがてロシア革命によって音楽人生が脅かされると判断し、両親とともにドイツに移ります。1921年から1923年までベルリン(Berlin)に、そして1924年から1925年までパリ(Paris)に滞在します。1925年にアメリカに移住し1937年に市民権を取得します。
彼は育ちから東欧の音楽の影響を受けますが、フランク・キャプラ監督(Frank Capra)の「失はれた地平線」(Lost Horizon)(1937年)、「我が家の楽園」(You Can’t Take It with You)(1938年)、「スミス都へ行く」(Mr. Smith Goes to Washington)(1939年)、「素晴らしき哉、人生!」(t’s a Wonderful Life)(1946年)のような典型的なアメリカ映画の音楽を作曲していきます。キャプラ監督の作品は、風刺的な喜劇が多いのですが、それ以後はヒューマニズムに満ちた作風で一時代を画します。
代表作にアカデミー作曲賞・アカデミー歌曲賞を受賞したフレッド・ジンネマン監督(Fred Zinneman)の「真昼の決闘」(High Noon)(1952年)があります。ジョン・ウェイン主演の「紅の翼」(The High And The Mighty)(1954年)でも再びアカデミー作曲賞を受賞します。その後もクラシック音楽に基づいた映画音楽を作曲していきます。「ジャイアンツ」(Giant)(1956年)、「友情ある説得」(Friendly Persuasion)(1956年)、「OK牧場の決斗」(Gunfight at the OK Corral )(1957年)、「老人と海」(The Old Man and Sea)(1958年)、「リオ・ブラボー」(Rio Bravo)(1959年)、「アラモ」(The Alamo)(1960年)、「北京の55日」(55 Days at Peking)(1963年)、「ローマ帝国の滅亡」(The Fall of the Roman Empire)(1964年)などです。どれも懐かしい、もう一度観たいものばかりです。