真打ち登場!」といえば落語の世界になりますが、心理学の歴史でさん然と輝くのがジクムント・フロイド(Sigmunt Freud)。フロイドこそ心理学研究の真打ちの一人といえるでしょう。その研究は認知心理学とは呼ばれませんが、精神病理学における理論の精緻化と治療の実践は、後の認知心理学の発展に大きく寄与していきます。
フロイドは1856年にチェコ(Czech)のモラビア(Moravia)地方でユダヤ系の家族に生まれます。当時はオーストリア・ハンガリー帝国 (Austro-Hungarian Empire)時代です。両親はウクライナ(Ukraine)出身だったようです。彼が育てられたユダヤ人両親の複雑な事情、特に母親の再婚や貧しい家族環境などを念頭に入れてペンを進めます。
フロイドは、表彰されるほど優秀な成績によって高校を卒業します。高校卒業の資格はラテン語で「Matura」といいます。Maturaは大学入学資格ともいわれ優秀な生徒に与えられるもので、別名「maturity diploma」ともいわれました。「資格として十分過ぎる」といったニュアンスがあります。さらに彼は文学を好み、ドイツ語はもちろんのこと、フランス語、イタリア語、スペイン語、英語、ヘヴル語、ラテン語、さらにはギリシャ語にも堪能となります。そういえば大抵のヨーロッパの研究者は自国語の他に数カ国語を理解できます。
シェークスピア(William Shakespeare)の作品を愛し、彼のその後の研究ではシェークスピアの劇に登場する人物の生き様から多くの事を学んだと回想しています。1881年にウイーン大学(University of Vienna)から医学博士号を取得します。そして1902年には同大学の神経医学科の客員教授となります。同時に精神医学のクリニックを開きます。 1938年にフロイドはナチスの支配から逃れイギリスに移住します。
さてフロイドの学術研究の経緯です。大学生の頃、ニーチェ (Friedrich Nietzsche) の哲学に一時心酔しますが長続きせず、結局精神医学の世界に入っていきます。ユダヤ人であったことがフロイドのその後の研究に大きな影を投げかけたといわれます。ユダヤ教の聖書であるトーラ (Torah)の超正統派の思想に悩まされたといわれます。なぜならばフロイドは思想的には自由に発想する人だったようです。前述した両親の複雑な関係に生まれたフロイドは、母親を手に入れようと思い、また父親に対して強い対抗心を抱くという現実の葛藤に苦しんだようです。この意識は、「エディプスコンプレックス」(Oedipus complex) といわれ、状況に対する相反する感情 (アンビバレンス: ambivalence) な心理の抑圧のことを指します。ギリシア神話の登場人物が「エディプス: Oedipus」です。実の父を殺し実の母と親子婚を行ったといわれます。
ユダヤ教の聖書ともいうべき「Torah」は律法の書といわれ、人間の自由や自立に先立って神の教えが中心となっています。こうした「Torah」という権威に抗うことは大変な葛藤となります。ユダヤ人ならではの悩みだったのでしょうか。