近世から現代にいたる英国の作曲家の音楽をしばらく取り上げることにします。最初はヘンリー・パーセル(Henry Purcell)です。生まれたのは1659年ですから、ピューリタン革命(Puritan Revolution)に引き続く王政復古の時代にあたります。チューダー王朝(Tudor dynasty)といわれる時代です。フランスの絶対王政、ドイツは30年戦争の直後の疲弊のまっただ中という状況にあって、イギリスは大陸の疲弊をよそに近代化へと発展していく時期です。
パーセルはイタリアやフランス音楽の影響を受けつつ、バロック時代における独自の音楽を生み出した最も優秀なイギリス人の作曲家の1人として評価されています。若くして才能をあらわし、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)のオルガン奏者、王室礼拝堂のオルガン奏者などを歴任していきます。パーセルは、作曲家としての初期には宗教音楽家として数多くの宗教的声楽曲を作曲していきます。特にイギリス国教会の聖歌であるアンセム(Anthem)とよばれる形式で多くの独唱曲や合唱曲を作曲します。こうして宗教的声楽曲というジャンルにまで高めていきます。「Come, Ye Sons of Art (Ode for Queen Mary)」とか「Fairest Isle」という器楽と声楽の演奏はそうです。
パーセルの音楽に影響を与えた背景には、文豪シェークスピア(William Shakespeare)、哲学者ベーコン(Francis Bacon)などの活躍により、イギリスの人文科学が一つの頂点を迎えたことがあるといわれます。演劇という表現形式が開花した時代で、音楽が劇と融合していきます。劇音楽、とくにオペラの分野との競演が進みます。こうした演劇の上演は、イギリスにおいては「劇伴」としての器楽曲の隆盛につながっていきます。リュート(Lute)、ヴィオラ・ダ・ガンバ(viol)、リコーダー(recorder)といった楽器の合奏による室内楽や舞曲が広く演奏されるようになります。「組曲2番プレリュード」はその一つです。
パーセルは持ち味である繊細な和音づけをたくみに利用して、力強さ、華やかさといった表現に加えて不安や悲しみといった複雑な感情までも音楽で細部に描き出していきます。