心に残る名曲  その百十七 モデスト・ムソルグスキー 「展覧会の絵」

ムソルグスキー(Modest Petrovich Mussorgsky)は、「ロシア五人組」といわれた作曲家の一人です。6歳から母にピアノを習い、7歳でリストの作品を弾くほど上達したようです。ペテルスブルグ(St. Petersburg)の近衛連隊に入り、軍医で作曲家であったボロディン(Alexander Borodin)と会います。同時にバラキレフ(Mily Balakirev)、キュイ(Cesarius Cui)らの音楽家と会い作曲への意欲に駆り立てられます。

1853年のクリミア戦争(Crimean War)で連合国に敗北後、ロシアの内政は不安定となります。1861年、農奴解放令によってムソルグスキーも経済的な打撃を受け、運輸省に下級官吏として就職します。長続きせず解雇された後、ある音楽好きの貴族に庇護されます。その頃作ったのがオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」(Boris Godunov)です。ロシア国家の公称であったロシア・ツァーリ国の皇帝です。

 ムソルグスキーは、ロシア国民楽派の作曲家と言われています。ロシアの民謡の伝統に忠実で、史実や現実生活を題材とした歌劇や諷刺歌曲を書いたからです。初期の交響詩の代表的傑作といわれる管弦楽曲「禿山の一夜」も書きます。

「展覧会の絵」(Pictures at an exhibition)は1874年に作曲されます。友人の画家ハルトマン(Viktor Hartmann)の遺作展で見た10枚の絵画の印象をもとに作られます。ロシア、フランス、イタリア、ポーランドなどさまざまな国の風物が描かれています。「展覧会の絵」の第2、3、5、7曲の前に前奏や間奏にあたる「プロムナード」が添えられています。それは絵と絵との間を歩く情景を表しているといわれています。楽曲は「小人」、「古城」、「卵の殻をつけたひなどりのバレエ」、「鶏の足の上に建っている小屋」、などという構成になっています。

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