日露戦争は、1904年の2月から1905年9月に、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部、及び日本海を主戦場として起こった当時としては未曾有の大戦争です。
新生日本にとっては、のるかそるかの戦いだったのですが、ロシアにとってはアジアの片隅で起こった領土争いという意識だったようです。その裏側では、戦争遂行に膨大な物資の輸入が不可欠であった明治政府の厳しい苦悩がありました。なぜなら、日本の勝利を懐疑的に見守る当時の国際世論の下にあって、戦費となる外貨調達に非常に苦心したのです。調達に奔走したのは日本銀行副総裁の高橋是清です。
先の日清戦争によって、多くの戦費を使い海外に流失します。戦争ほど金のかかるものはないのです。この時点で日銀の保有正貨は5千2百万円であり、約1億円を外貨で調達しなければならなかったといわれます。外国公債の募集には担保として関税収入を当てることにします。期間10年据え置きで最長45年、金利5%以下の条件で公債の募集を始めます。当時は、世界中の投資家が、日本の敗北を予想して資金が回収できなくなると判断したようです。
こうした苦境のなかで、額面100ポンドに対して発行価格を93.5ポンドまで値下げるとことし、日本の関税収入を抵当とする好条件でイギリスの銀行家たちから外債引受けの成算をえるのです。さらに、帝政ロシアを敵視するアメリカのドイツ系ユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフ(Jacob Henry Schiff)の知遇を得て、ニューヨークの金融街から500万ポンドの外債引き受けに成功します。
ロシア国内では、反ユダヤ主義(Antisemitism)が高まっていきます。そのことによってユダヤ系の人々への大迫害ーポグロム(pogrom)が吹き荒れます。帝政ロシアにおける組織的なユダヤ人の大虐殺の事態をシフは知ったようです。
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