心に残る名曲 その三十八 「魔弾の射手」

ウェーバ(Carl Maria von Weber)といえば、我が国では「魔弾の射手(Der Freischütz)」が最も親しまれているように思われます。ドイツの民話を題材とし、魔の潜む深い森や、封建時代の素朴な中にも良き生活を描いたこの作品序曲は特に有名です。その冒頭部分は讃美歌285番「主よ御手もて引かせ給え」として歌われています。

1813年にプラハ歌劇場の芸術監督に就任し、オペラの改革に尽力し、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の「ドン・ジョヴァンニ(Don Giovanni)」上演以後、低落していた歌劇を再興させたといわれます。

1817年には、ザクセン(Saxony)の宮廷楽長に任命され、ドレスデン(Dresden)歌劇場に移ります。当時宮廷ではイタリア・オペラが主流であったが、ウェーバは自身のドイツ・オペラをひっさげて登場します。結果は成功し、ドイツ・オペラを根付かせることに成功します。作曲家だけでなく、当時最高のピアニストとしてヨーロッパ各地で演奏を行ったとあります。

魔弾の射手が初演されたのは1821年。ベルリンで大反響を呼び、ドイツ国民オペラの金字塔を打ち立てのがこの曲です。後に大作曲家となる多くの人物、例えばワーグナー(Richard Wagner)やベルリオーズ(Louis Hector Berlioz)がこの魔弾の射手を観て作曲家を志したとも言われます。

ともあれ、11歳で初めてオペラを作曲し、魔弾の射手の他に「オベロン(Oberon)」などのオペラのほか、「舞踏への勧誘(Aufforderung zum Tanz)」などの器楽曲も残しています。この曲も日本でも広く演奏されています。指揮棒を初めて用いた作曲家としても知られています。