心に残る名曲 その三十四  「My Old Kentucky Home」

「アメリカ音楽の父」とか「19世紀の最も優れたソングライター」と呼ばれるのがスティーブン・フォスタ(Stephen Foster)です。「スティーブン」という名前は「ステファン」とか「ステパノ」とも呼ばれます。キリスト教会最初の殉教者がステパノで、石打ちの刑にあったことが使徒行伝6章8節にその記述があります。ちょっとした余談です。

フォスタはペンシルヴァニア州(Pennsylvania)のアテネ(Athens)という小さな町で生まれます。このあたりにはヨーロッパからの移民が定住し、イタリア、スコットランド、アイルランド、ドイツ系の人々がいてフォスタは彼らの歌を聴く機会に恵まれたといわれます。

フォスタが最初に作曲したのは14歳のときです。その曲名は「Tioga Waltz)」、そして発表した曲集は「Open thy Lattic Love」というものです。1844年のことです。フォスタは正式な音楽教育を受けていません。それでもクラリネットやヴァイオリン、ギター、フルート、ピアノなどを弾いていました。作曲活動は、ドイツからきたHenry Kleberという楽譜購入者に師事しています。初期の作品は酒場で歌うような歌をつくります。「Mr & Mrs Brown」というのがそうです。さらにフォスタは教会讃美歌も書きます。「Seek and ye shall find」、「All around is bright and fair, while we work for Jesus」、「Blame not those who weap and sigh」といった曲です。南北戦争に関する曲も書いています。「The Pure, the Bright, the Beautiful」、「Over the River」、「Give Us This Day」、「My wife is a most knowing woman」といった曲です。

フォスタは通常手書きした楽譜をそのまま出版社に渡したようです。出版社はそれをフォスタに戻すとか図書館へ寄贈するのではなく、売り渡してしまったようです。手書きの楽譜は個人のコレクションになったりします。幸いにいくつかの楽譜はアメリカ議会図書館(Library of Congress)に保存されているということです。

一般にフォスタの曲の歌詞や旋律は出版社や演奏家によってアレンジされています。例えば「My Old Kentucky Home」はケンタッキーの州歌となります。「Old Folks at Home」はフロリダ州の歌ともなりました。フォスタ記念財団はこうした変更を承認してきました。フォスタの歌がこうしてさらに広まることになりました。