心に残る一冊 その150 「やぶからし」 その七 菊屋敷

黒川一民。藩士で儒官。朱子に皇学を兼ねた独特の教授をしていました。二人の娘がいます。志保と小松です。跡継ぎとなる息子はいません。藩主の特旨で村塾を続けるようにとの命で志保が五人扶持をもらいます。小松は塾生であった園部晋吾に嫁いでいます。晋太郎と健二郎という男の子がいます。美しく才はじけて人の眼を惹く存在でありました。志保は妹に息子がいて睦まじそうな妹夫婦を前にして激しい妬みを感じます。

杉田庄三郎は黒川一民の門下生で、村塾にて熱心に学問に傾注しています。十数名の塾生の頭です。異国の思想に渦いされず、時代の権勢にも影響されない純粋の国史を識らなければならないというというのです。さらに、日本の先人の遺した忠烈の精神、それを子孫へ伝えるべき純粋の国体観念、これを明らかにしなければならないと同志に語るのです。藩国に仕えず王侯に屈せずという考えで、当時は危険な思想だったようです。

志保はあるとき付け文をもらうのですが、もしかしたら庄三郎からのものではないかと期待するのです。付け文に記されていた逢瀬の機会は、小松夫婦の突然の訪問でふいになります。庄三郎が自分に慕情を寄せているのではないかとひそかに悩みます。

園部晋吾は蘭学を学びたいと長崎に行こうとしまします。しかし、二人の子供と一緒に長崎に行くのは難しそうなので、志保に晋太郎を養子としてもらいたいと願いでます。こうした小松の我がままな要求が志保の生き方を思わぬ方向へ向かわせるのです。小松は姉の身の上を思いやる心の持ち主ではありません。しかし、志保は小松の押しつけを受け入れ、子育てを決意し将来は侍とすべく、晋太郎を厳しくも愛情を注いで育てます。

晋吾は故あって、江戸に戻って好条件の仕官にありつきます。次男の健二郎が流行病によって失うのです。やがて志保に対して晋太郎を戻すように求めてくるのです。
「本当はここにいたいのです。友達もいるしいろいろなものもあるし、、」
「いつもお母様はこう仰っていましたね、りっぱな武士になるには、子供のうちから苦しいこと、悲しいことにたえなければいけない、からだも鍛え心も鍛えなければいけない、、」
「本当はここにいたいんですけど、そんな弱い心にまけてはりっぱな武士になれませんから、、」
「晋太郎は江戸へまいります」

晋太郎が江戸の両親の許へいくと子供心に云うのも、志保の膝元に留まりたいというのは弱い心だ、というのです。志保の真実の心が晋太郎に引き継がれていることに志保は満足します。

しかし、幕府の大目付らが村塾にやってきて「上意である、神妙になされい」といって杉田庄三郎ら塾生を捕縛しようとします。庄三郎は同志に向かって上意を受けるように云い、大剣を差し出します。別れ際に志保に向かって庄三郎は云います。
「ご迷惑をおかけしました、志保どの、」
「長い間お世話になりましたが、たぶんこれでもうお眼にかかることはないでしょう」
「ほかに心残りはありませんが、今年の菊を見られないのが残念です、」
「では、、ご機嫌よう、、」