心に残る一冊 その106 「小説日本婦道記」 その四「箭竹」

「箭竹」とは矢に用いる竹のことと辞書にあります。「箭」とは矢のことです。

十九歳の家綱が弓を射ています。一本の矢が光の糸を張ったように飛び、心地良い音をたてて的に突き刺さります。その矢が気に入るのです。調べてみると弓矢には「大願」という小さな二文字が彫られています。家綱はこの矢の出所を調べるよう家臣に言い付けます。

将軍の射る矢は諸国の大名たちから献上され、精選されました。問題の矢は三河のくに岡崎藩の水野けんもつ忠善からの献納と判明します。水野けんもつの家臣に茅野面記という者がいました。面記は勤役中に刃傷沙汰があり切腹させられます。そのため妻みよと二歳の安之助は領内追放を申し渡されます。そして美濃の国、加納藩の実家に身を寄せます。やがて水野けんもつは国替えで岡崎藩へ加封されるとともに、みよも忘れ形見の安之助とともに主君の国替えについていきます。

岡崎は竹の産地。岡崎藩から献上される竹束は知られていました。竹を削って磨き箭べらにする仕事をみよはすすめられます。馴れてくるとみよばめきめきと腕をあげ、誰の作るのにも負けないような立派な箭を作る自信がついてきます。

安之助が十八歳になると母親に働きに出たいと懇願します。
「父上は不運なできごとのなめに、ご奉公なかばで世をお早めなさいました、侍にとってこれほど無念な、苦しいことはありません、どんなにおつらかったことか、、」
「ご生害のとき、父上が一番お考えになったのは、あなたのことです、あながた人にすぐれた武士になり、父のぶんまでご奉公をするようにそれだけお望になすったのです、、」
「よくわかりました母上、わたしは一心に修行いたします、そして千人にすぐれた武士になります」
「それをお忘れなさるな、道はまだ遠いのですよ」

みよは、母の愛情を込めて箭竹にきわめて小さく「大願」の二文字をつけることを思いつきます。もしかすれば、それがご主君のお手に触れるかも知れない、、どうぞこの二文字がとのさまのお眼にとまりますよう、そう祈りながら箭を作っていきます。

水野けんもつは「大願」を彫った箭がみよによって作られたことを知ります。女にもあれほどの者がいたのか、武士の妻として、良人の遺志をついで二十年、微塵もゆるがぬ一心をつらぬきとおした壮烈さは世に稀なものであると感じ入るのです。そして箭竹の顛末を記した書状を幕府に送ります。

安之助はほどなく召し出されて父の跡目を継ぎ茅野家を再興します。