ふくが蛇に咬まれたときの様子です。右手の中指がぽっくりと赤くなっていま。文四郎はためらわずその指をふくむと、傷口を強くすいます。泣くふくを文四郎は叱るのです。「泣くな」 赤くなっていた唾を吐き捨てるのです。文四郎とふくの相思の情はやがて広がります。
15歳の時、藩主の手が付いて側室となったふくはお福と名乗ります。すぐに身ごもるのですが流産してしまいます。文四郎の親友で、江戸藩邸にいて論語などの学問をしている島崎与之助は、流産は側室おふねの陰謀だという噂があると文四郎に語るのです。その後送られてきた与之助の手紙には、江戸藩邸でにわかにお福の評判が悪化し、藩主の寵愛を失ったという噂が触れられています。
海坂藩内では跡目を巡る権力争いが激化します。文四郎の父、助左衛門も義のために反逆者と烙印を押され切腹させられたのです。牧家を潰されなかった文四郎にも家老里村左内=稲垣派と横山派の派閥争いを目の当たりにしていきます。そして双方から誘いがやってきますが、文四郎は態度を決めかねています。
お福は海坂藩にある藩主の御殿、欅御殿で藩主の御子を産み、そこに隠れます。この子どもが成長し藩主になることに危惧を抱くのが里村=稲垣派です。お福と子どもを亡きものとし、それを横山派の仕業としようとします。そして里村は横山派が御子に食指を動かしている、とそそのかし文四郎に御子をさらってこいと命令するのです。里村はさらに、牧家を潰さなかった貸しがあると文四郎に伝えます。
家老里村の奸計に気づいた文四郎は、友人の逸平らとでお福と子どもを助けに御殿に向かいます。そのとき里村の一隊が御殿にやってきます。里村らの考えはこうです。文四郎を御殿に乗り込ませ、そこを襲って文四郎と御殿の人間を皆殺しにする、その罪は文四郎一人に着せ、あとでそれとなく横山派の仕業と匂わせる。さらに横山派が里村派に罪を着せるために文四郎を使って御子を奪わせようとしたが、護衛の者と斬り合いになって相撃ちに倒れた、という台本を考えていたのです。
文四郎らは死闘の結果、お福と御子を無事助けて横山家老に預けます。里村=稲垣派に対する処分が発表されます。里村らは領外永久追放や座敷牢に閉じ込める郷入り処分となります。