前回、スコットランドの大学では多くの技術が実用化され、はやがて産業革命の中心地としての地位を確立していくことを簡単に述べた。実学を重視したのは、イングランドの中心、オックスフォード大学(University of Oxford)やケンブリッジ大学(University of Cambridge)との違いを強調したためかもしれないことも述べた。
全世界の産業革命の先駆的なこととして日本の教科書にでてくるのは、蒸気機関の発明である。それは工場や機関車に応用された。その発明家ジェームズ・ワット(James Watt)は、グラスゴー大学(University of Glasgow)で機械工学を学び、その後技術者として知られ産業革命の進展に多大な貢献をした。
同じく教科書に登場したスコットランド人にアレクサンダー・フレミング(Alexander Fleming)がいる。彼は細菌学者としてアオカビから抽出した世界初の抗生物質、ペニシリンの発見者として知られている。その功績で卿(Sir)の称号を与えられた。
グラハム・ベル(Alexander Graham Bell)も我々には記憶に残る人物だ。スコットランド生まれの科学者で発明家である。世界初の実用的電話器の発明で知られている。Wikipediaによれば彼は1876年のフィラデルフィアでの万国博覧会で電話を公開して国際的注目を集めたといわれる。ベルの父はマサチューセッツ州ボストンのボストン聾学校、現在のHorace Mann School for the Deafのインストラクターとして手話を教えてほしいと頼まれた。だがその申し出を辞退して代わりに息子のグラハムを推薦したといわれる。
多くのスコットランド人が1800年代に北アメリカ大陸に渡っていった。アメリカの鉄鋼王と呼ばれたアンドリュ・カーネギー(Andrew Carnegie)もスコットランド人である。1848年に両親と共にアメリカに移住した。カーネギーはU.S. スティール会社(U.S. Steel Corporation)などを創設し莫大な資産を残す。それを基金としてカーネギーメロン大学(Carnegie Mellon University)、世界の音楽の殿堂といわれるニューヨークのカーネギーホール(Carnegie Hall)などの建設に使った。偉大な篤志家ともいわれる。
第13代将軍徳川家定に電話機をプレゼントしたのがアメリカ海軍提督のマシュー・ペリー(Matthew Perry)である。彼もスコットランド系である。
前述したが、スコットランドの厳しい経済や自然が移民を促した。多くのスコットランド人が北米大陸に渡る。スコットランド移民がつくったカナダの小さな州がノバ・スコシア州(Nova Scotia)である。ラテン語でNew Scotlandという意味である。New Englandの隣というか、北の方角の大西洋に面している州だ。