アメリカ合衆国とニックネームの由来 その60 Island of Enchantment

プエルトリコ自治連邦区(Commonwealth of Puerto Rico)も合衆国の一部です。私はこの島を旅行したことはありませんので、ブリタニカ世界大百科事典などで調べたことを記してみます。

Bright, pastel colors of houses in a neighborhood of San Juan, Puerto Rico

プエルトリコは、カリブ海北東に位置するアメリカ合衆国の自治的・未編入領域であり、コモンウェルスという政治的地位にあります。プエルトリコ本島やいくつかの島々から構成され、モナ海峡(Canal de la Mona)を隔てて西にドミニカ共和国(República Dominicana)やハイチ共和国(Republic of Haiti)と隣接しています。ニックネームは「魅惑の島々(Island of Enchantment)」というものです。

プエルトリコの国土の大きさは四国の約半分です。本島は山がちで丘陵地帯がひろがり、海岸は平野となっています。主都はサン・フアン(San Juan)。住民の大半は、スペイン系の白人やアフリカ黒人の血をひいています。文化的にはスペイン植民地時代からの伝統が色濃く残っています。公用語はスペイン語と英語ですが、住民のほどんどは日常生活ではスペイン語を使っています。カリブ海の島々にいた先住民はタイノ人(Taíno)で、彼らの呼び名はではプエルトリコではボリケン(Boriken)とも呼ばれています。現在、約300万人のプエルトリコ人はアメリカ本土で暮らしています。

プエルトリコの歴史です。1493年11月にイタリアのクリストファー・コロンブス(Christopher Columbus)がやってきます。プエルトリコの本格的な征服は、コロンブスによる発見から15年の経過した1508年にスペインから総督としてやって来たフアン・ポンセ・デ・レオン(Juan Ponce de Leon)らのコンキスタドール(Conquistador)と呼ばれた探検家とか征服者よってなされます。3万人ほどいたといわれているタイノ人は征服され、スペインからプエルトリコへの本格的な入植がはじまります。

スペイン語の Puerto Ricoは「豊かな港」「富める港」という意味です。当初、プエルトリコ島は「聖ヨハネ島(St. John)」と呼ばれていました。やがて商人や島を訪れる人々は島そのものをプエルトリコ島と呼ぶようになり、一方でサン・フアンは港と主都を指すようになりました。

16世紀から18世紀にはイギリスやオランダの海賊の攻撃を受けますが、襲撃は失敗に終わり、プエルトリコは一貫してスペインの植民地が続きます。1898年に勃発した米西戦争で同年8月にはアメリカ軍に占領されその後はスペインからアメリカに割譲され、戦争終結のパリ条約によりアメリカ合衆国の領土となります。